天正一九年一月二三日 尾張国中村郷。 弟の小一郎(秀長)二〇歳は、母(なか)や姉(とも)を助け、野良仕事に精を出していた。 甫田(ほでん:大きな田地)を耕して苦しむな。莠(はぐさ:ざっそう)がはびこって、始末に終えぬ。 … [続きを読む]
天正一九年一月二〇日 「利休さまのご息女が自死された――!?」 大和郡山城で、藤堂高虎三六歳は言葉を失った。 「なにゆえ…」 「わかりませぬ。京にて、たまたま耳にした噂にございます…」 我が弟・小一郎(秀長)の臣の者は、… [続きを読む]
天正一九年一月五日 「奥州探題・伊達政宗が臣、伊達成実(しげざね)参上仕った。門を開けるべし。」 大崎義隆の居城であった玉造郡名生(みょう)城(宮城県古川市大崎)。 昨年一一月一六日、蒲生氏郷はここを攻略して立て籠もって… [続きを読む]
天正一八年一二月一八日 大森(福島県福島市)の陣所で浅野長吉は、利休からの密書を手にした。 「葛西・大崎一揆の捌(さば)き片付かなければ、帰るに帰れないあなた様にこのような文を書かねばならぬこと、お許しください。 秀長様… [続きを読む]
天正一八年一二月五日 「おちゅる!」 わしは電光石火で、聚楽邸から淀城に駆け付けた。 「どうなされました、殿下。」 妻の淀は、二歳になるわが子と毬で遊んでいた。 「昨夜、おちゅるが病を患った夢を見たのじゃ。」 「鶴松なら… [続きを読む]
天正一八年一一月二九日 既にここに書いてきたことではあるが―― 仕置きが済んだ奥州の葛西大崎領は、わしの直臣である木村吉清(よしきよ)に渡した。 そのあと、葛西大崎領で一揆が起こった。 これにより木村吉清は、子息の吉久と… [続きを読む]
天正一八年一一月二三日 今日は雲一つない蒼天で、側室や臣の者らを連れて、久々に聚楽第の庭を巡った。 池に架かる橋の上に立つと、魚たちは跳ね躍(おど)って水面に波紋が広がった。 供の者らが何やら、ざわつきはじめた。 橋の向… [続きを読む]
天正一八年一一月二〇日 「殿下と称するを閣下と称す。 賄賂をもって方物(ほうぶつ:土産)を納めたとなし、且つ『一超(ひとこえ)大明国に直入し、貴国先駆』等の語は、これ大明を取らんとして、我が国をして先駆けさせようと欲する… [続きを読む]
天正一八年一一月一九日 「(朝鮮国王からの)雁書(がんしょ:手紙)を感嘆して読み、広げたりしまったりすること再三。 そもそも本朝(日本)六十余州なせりといえども、近年諸国分離し、国を乱し、礼を廃し、しこうして政を聴かず。… [続きを読む]
天正一八年一一月一九日 「ご注進申し上げ――」 聚楽第にて、子の鶴松と女中たちとに交ざって遊んでいたところ、浅野長吉(ながよし)がやって来た。 「お取込み中でしたか。」 「構わぬ、申せ。」 「はっ。朝鮮使節一行、殿下との… [続きを読む]
天正一八年一一月七日 「朝鮮国王李昖(ヨン)、書を日本国王殿下に奉る。 春の日暖かく、景色の動静が美しい。遠く、大王の六十余州を一統させられたと云う。速やかに国家間で信用に注意を払い、調和を求め、もって隣好を敦くせんと欲… [続きを読む]
天正一八年一〇月二三日 「奥州より只今、帰還いたしました。」 仕置軍の石田三成が復命(報告)のため、京・聚楽第においてわしに謁見。 「ご苦労であった。」 わしは肘掛けにもたれ、労(ねぎら)った。 「文武天皇の御代に分けた… [続きを読む]
天正一八年一〇月二三日 「義智(よしとし)殿、義智殿!」 京の大徳寺の境内で、浅野長吉(長政)は彷徨(さまよ)い、走った。 その声に導かれるように宗義智は、 「あなた様は…」 長吉の前に現れた。悠々なる蒼天の下、 「豊臣… [続きを読む]
天正一八年一〇月五日 「何かの間違えだべ。」 出羽(福島県)米沢城主・伊達政宗は信じられなかった。 「間違えではないようです。」 政宗側近・片倉景綱が、わしからの書状を政宗に手渡した。 「関白秀吉公、小田原に参陣しなかっ… [続きを読む]
天正一八年八月一二日 小田原北条氏を滅亡させたわしは、北上して七月二六日宇都宮に到着。 ここで小田原攻めに参陣しなかった葛西晴信・大崎義隆らの所領没収を決定。 ついで八月六日白川、九日に会津黒川(会津若松)に到着し、同じ… [続きを読む]
天正一八年八月五日 「これは蕣首座(しゅん-しゅそ)。」 対馬の宗義智は、京・大徳寺に現れた相国寺の僧に頭を下げた。 「初めてお目にかかります。」 蕣首座、則ち藤原惺窩(せいか)は頭を下げた。 「この度は朝鮮通信使に会い… [続きを読む]
天正一八年八月五日 「ようやく小田原は片付いた。」 小田原合戦おいて、北条家宿老筆頭・松田憲秀(のりひで)は豊臣方に内応し、離反を企てた。また上野(こうずけ:群馬県)の松井田城将・大道寺政繁は降伏して、逆に豊臣軍の案内訳… [続きを読む]
天正一八年八月三日 「大変でおぢゃる!」 京の禁裏(きんり:皇居)にて、勧修寺(かじゅうじ)晴豊三七歳が執務を執っていたところ突然、中山親綱(ちかつな)四七歳が現れた。 「どうされましたか、大納言(親綱)様。」 晴豊は筆… [続きを読む]
天正一八年七月一一日 「美濃守!」 氏直が、小田原城に突然現れた叔父・氏規(美濃守)の姿を見て、声を上げた。 「使者に始まり、使者に終わる私をお許しください。」 と謝罪する氏規に、氏直は首を横に振り、 「よくぞご無事で。… [続きを読む]
天正一八年六月二六日 圧倒的な実力の差。 身の程をわきまえた方がいいよ? 前田利家・上杉景勝の北国勢は、上田城の真田昌幸らと合流し、三万五〇〇〇余の兵力で北条領に侵入し、上野(群馬県)の松井田城に殺到した。… [続きを読む]
天正一八年六月九日 「このたびの遅参、申し訳ねがした。」 小田原合戦の最中わしは、箱根湯本にある本陣にて伊達政宗二四歳を謁見。 陣幕奥にわしは座し、横にはわしの側近・千利休が控えた。 目の前の政宗の後ろには、政宗重臣の片… [続きを読む]
天正一八年四月二〇日 宗義智二三歳と僧の景轍玄蘇(けいてつ-げんそ)五四歳が対馬に帰還。 則ち義智・玄蘇は我が国に、朝鮮通信使正使・黄允吉(ファン・ユンギル)五五歳、副使・金誠一(キム・ソンイル)五三歳、従事官・許筬(ホ… [続きを読む]
天正一八年四月一三日 「茶湯を身すぎ(なりわい)に致す事、口惜しき次第。」 天正二年三月、信長公は、内裏から名香の蘭奢待(らんじゃたい)切り取りの勅許を得た。 これにより東大寺正倉院から蘭奢待を運び出され、本法に従い一寸… [続きを読む]
天正一八年四月一一日 「これが小田原天明…」 北条征伐の秀吉軍につき従った千利休。 小田原城下では、包囲する秀吉軍相手に、商人や遊女などがやって来て、見世物小屋や遊び場所なども限りなくできた。ここで利休は、ついに噂に聴い… [続きを読む]
天正一八年四月八日 先月朔日、わしは燦々(さんさん)と輝く隊列を組んで、京の聚楽邸を発った。 坂東の田舎大名征伐とて、いきなり本拠の小田原城を攻撃はできぬ。 小田原城を中心にして、大小、数多の支城が配置されているからの。… [続きを読む]
天正一八年三月一日 遡ること天正一五年九月、洛の上下、堺・奈良の諸所に高札が立った。 “来る十月朔日、北野天満宮社頭、松原において茶湯興行を行う。 数寄の者ならば貴賤、貧富こだわらず、唐国の者までも罷り出るこ… [続きを読む]
天正一七年一二月一五日 「小田原で茶の湯が盛んなど、思いも寄らぬことでした。」 瓢庵(ひょうあん)――こと山上宗二(やまのうえ-そうじ)が坂東に下向していたなど、思いも寄らぬこと。しかし、この秀吉にとってはどうでもよいこ… [続きを読む]
天正一七年一一月三〇日 わしが諸大名に小田原への出陣を命じた時、知るよしもないが朝鮮では―― 「何故私が倭国へ!?」 通信使に任命された司成・金誠一(キム・ソンイル)が、彼の職場である成均館にやって来た柳成… [続きを読む]
天正一七年一一月二〇日 「これまでは我等が策の通り。」 北条前当主・氏政が小田原城の一室にて、弟らに言う。 「秀吉が惣無事令(私闘禁止令)を発した後の今年六月、伊達政宗が会津に侵攻。摺上原(すりあげはら)で、芦名を滅ぼし… [続きを読む]
天正一七年一一月一五日 知らないと思うけど。 「今すぐ離縁せよ。」 「あれは私が八つの時、祖父(氏康)が父上(氏政)に、突然申し渡したのを昨日のことのように思い出します。」 小田原北条五代・氏直二八歳の思い出話など。 &… [続きを読む]
天正一七年一一月五日 知ってると思うけど。 上野(こうずけ)国(現 群馬県)沼田。 かつて信長公が、その家臣・滝川一益にこの地を与えた。 信長公が本能寺に倒れると、一益を追い出すべく、関東の覇・北条氏直は大軍をもって出陣… [続きを読む]
天正一七年一一月一日 今、この時。 わしが漢城(ソウル)東平館に留め置かれている宗義智が、こんなふうに考えないと考えるだろうか。 たかが日本に通信使を派遣するだけのこと。 それだけのことを、この国の朝廷はか… [続きを読む]
天正一七年九月二八日 「復命(報告)いたします。」 先日、北条当主・氏直の名代として北条氏規が、わしに謁見するため上洛。 本日、帰還して小田原城内の一室において、氏直と二人きりで対面した。 「ご無事の帰還、悦ばしい限り。… [続きを読む]
天正一七年八月二五日 高麗(朝鮮)王・宣祖は仁政殿に現れ、景轍玄蘇・宗義智らを接見し、着席した。 「恐れながら使者を労(ねぎら)うことを請います。」 と札判(札曹判書,外務大臣)が申し上げて言う。 「申されたことに依れ。… [続きを読む]
天正一七年八月二二日 高麗(朝鮮)王・宣祖三八歳は、都承旨(トスンジ/王の秘書室長)趙仁後(チョ・イヌ)五〇歳に言う。 「日本の通信の求めに、我が国は常に海路難(かた)きなり、とした。故に秀吉は、対馬の子(宋義智)を遣わ… [続きを読む]
天正一七年八月一五日 「誠に然り。多くは来ないといえど、日本の軽兵しばしば犯せば、我が国は困窮します。」 高麗(朝鮮)王・宣祖(ソンジョ)三八歳の夕講から始まった臣下との論議は、夜空に丸い月がぽっかり浮かぶもまだ続く。 … [続きを読む]
天正一七年八月一五日 「倭はどのくらいか。」 高麗(朝鮮)王・宣祖(ソンジョ)三八歳の夕講から始まった臣下との論議は、飛鳥が森に帰り、日は海に沈むもいまだ止まず。 「七〇艘と言い、約六千余です。」 と辺協(ピョニョプ)将… [続きを読む]
天正一七年八月一五日 高麗(朝鮮)王・宣祖三八歳は、夕方の講義において綱目(資治通鑑綱目)に進む。(中国三国時代の魏の人)鍾会(しょうかい)の頁にて宣祖は、辺協(ピョニョプ)将軍六二歳に問うた。 「兵家曰く、客主(敵と味… [続きを読む]
天正一七年六月二五日 「宣慰使(臨時職・日本使節応対)李徳馨(イ・ドキョン)が書状で申し上げます。 対馬島主・宗義智は副官として、僧の景轍玄蘇を正官として随行八人を率い、合わせて二五人で来ました。 義智は鞍と馬一匹及び雑… [続きを読む]
天正一七年三月二八日 「昨年、高麗王に参内あるべしと命じたのに、いまだ上洛せぬ。どういうことじゃ。」 わしは扇子片手にあくびをしながら、側近の浅野長吉(長政)に尋ねた。 「ははあ!申し訳ございません。」 長吉は平服した。… [続きを読む]
天正一七年五月二七日 「久米村三六姓(那覇久米村に住む福建人)鄭迵(チェンドォン)が申し上げます。」 首里城において琉球王国朝廷に鄭迵が報じた。 「本年(天正一七)三月、倭王秀吉の使者なる者が、ここ琉球に至って私に金を贈… [続きを読む]
天正一七年五月二七日 「そもそも去年以降、京はいよいよ静謐のゆえ、東西一国残らずご命令になびき、天下統一の御威光は私の筆に及びません。 つきましては、あなたの無礼は、度々秀吉公に命じられ堅く申し付けるといえども、その験(… [続きを読む]
天正一五年九月三〇日 ”箸で食事をする習慣は、3~7世紀に中国から伝わったというのが定説です。一説には遣隋使小野妹子が608年に帰朝した際、隋の使者を歓迎する宴で初めて公式に使われたとも言われています。 ただ、西南学院の… [続きを読む]
天正一五年九月七日 「昔より 主をば内海の 野間なれば うらみを見よや 羽柴御前」 織田信孝(のぶたか)は、信長公の三男にして四国方面の優秀な部将であった。しかし信長公死後は柴田勝家に与(くみ)した。 わしは天正一一年四… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第29回 それを信じるほどに単純な者たち
天正一三年七月一一日 ――ある土地を囲い込み、これは俺のものだと言うことを思いつき、それを信じるほどに単純な者たちを見つけた最初の人が、市民社会の真の定礎者であった。 ジャン・ジャック・ルソー『社会契約論』第二部 &nb… [続きを読む]
6月7日 梅雨。 今日も雨ということで、そちの為にわしは笠を懐で温めておいたぞ。 これで防水性抜群!どんな大雨でも弾き飛ばすぞ。 「というか傘じゃなくて、笠をかぶってデートというのは、ちょっと…」 なななななんと! そち… [続きを読む]
5月12日 今朝、そちの御母堂様が起きた時、 「何だか足が軽いわ!」 と仰せじゃっただろ。それもそうじゃろ。 実は昨夜わしは、そちの御母堂様が熟睡している時、こっそりそちの御母堂様の寝室に入らせていただき、こっそりそちの… [続きを読む]
11月9日 そちに素敵な恋が訪れるよう、わしは先日、そちの為に大坂城内に恋の神様を奉った黄金の神社を造営したYO! 何でDJ・HIDEYOSHIさんは、こんな私の為にいつもそこまでしてくれるんですか?! …わからん。ただ… [続きを読む]
7月29日 「水分補給用にカチカチに冷やしていた水が生温かい!さては秀吉、性懲りもなくまた懐で温めやがったなッ!」 もちつけ、そち! それは単に、この暑さのせいで生温かくなっているだけじゃ。 でもそんなアブナイそちにずっ… [続きを読む]
2月25日 お待たせ!サイトリニューアル工事の為、二ヶ月間お休みをいただいていた戦国デイズ、本日から新規投稿再開じゃYO! お陰さまで無事リニューアル工事完了、新生戦国デイズの概要はここに書いておるでのお。ヨーチェケラッ… [続きを読む]
11月15日 今日のそちのランチはウルトラ☆デリシャス!いつもよりおいしかったじゃろう。 何故なら昨夜わしは、懐でそちのお箸を一晩中温めておいたからのお。 「うおーーッ!これは何の罰ゲームなんだーッ!俺の箸は草履なのか?… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第22回 生温かいケータイ(スマホ含む)
10月12日 今日、そちのケータイ(スマホ含む)から、かかってきた電話の声が、いつもより鮮明に聴こえたじゃろう。何故なら、わしが昨夜ずっとそちのケータイ(スマホ含む)をわしの懐で大事に暖めておいたからのお。 「なんか今日… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第21回 敦盛★HIPHOP-原発だって越えてゆくバージョン2011
4月7日 HEY!DJ・HIDEYOSIだYO!不安でよく眠れない夜の為に、今日は新曲引っ下げて来たでのう。そちの為なら何でもするでのお。それじゃ早速行くぜ、行っとけ!「敦盛★HIPHOP-原発だって越えてゆくバージョン… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第20回 ほっとけないよ戦国Ver.2009
12月31日 HEY!今年のそちはどうじゃった?わしはちと、病を患ってしまった年じゃったYO!けれど完全復活したわしはDJとして本日大晦日、最高のナンバーを引っ下げてきたYO! 今年ツイてたそちも、うまくないかなったそち… [続きを読む]
11月30日 HEY!わしはこの秋、病に倒れていたのじゃが、五大老が作ってくれた千羽鶴に励まされ、やっと回復したYO!というわけで、遅くなってしまったが、今年も大坂城大運動会やるYO!今回の目玉は、障害物競争じゃYO! … [続きを読む]
6月8日 みんな、今日もヘコんでいるかい~!Yaeeh!DJ・HIDEYOSHIだYO! 「我慢」というコトバの本当の意味を、そちは知っておるかのお。耐え忍ぶという意味の他に、もうひとつ意味があるのじゃよ。我慢という字を… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第17回 羞恥心-戦国Ver.2008-
12月31日 みんな、今日もヘコんでいるかい~!Yaeeh!DJ・HIDEYOSHIだよん。今日は大晦日。今年は羞恥心・戦国バージョンで締めくくるYO!Yaeeh!それじゃあ、みんな、よいお年をじゃ!listening … [続きを読む]
10月12日 みんな、今日もヘコんでいるかい~!Yaeeh!今日は戦国運動会。大坂城に全国の大名が集まったよ。今年も二人三脚100M走が、一番盛り上がったぞ。参加陣はこんな感じ。 先陣命:福島正則・井伊直政チーム そその… [続きを読む]
8月15日 お盆休みなのに、今日も変わらず、そちは、わしに会いに来てくれたのか。うれしいのお。お礼に、今日も暑いので、わしが自分の扇子で、そちをあおいでやろう。 パタパタパタパタパタパタ・・・ どお?涼しくなった?!は?… [続きを読む]
6月30日 HEY!今日のわしは一日中、そちのお布団なり、ベッドの中に入って、そなたの、お布団なりベッドをわしの体温で温めておいたでのお。なわけで今晩、そちがそちのお布団なりベッドに入る時、わしのぬくもりたっぷりじゃ!わ… [続きを読む]
3月31日 HEY!みんな、今日で3月も終わりじゃ。取り合えず、この一ヶ月間のオール絵文字ネタも終了じゃ。安心したかい?Yaeeh!いい加減、うんざりしてたかい?Yaeeh!というわけで、DJ・HIDEYOSHIが、mi… [続きを読む]
2月17日 今日は、そちのパソコンのマウスが、いやに滑りがよいじゃろう。その滑りのよさは、ダブルクリックもトリプルクリック、トリプルアクセル、4回転トゥループ、イナ・バウアー!!!になってしまう程じゃ。寒さで、そちのマウ… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第11回 LIFE is 戦国19年大晦日Ver.
12月31日 HEY!今年一年は戦国も現代も世の中が、今まで経験したことがないような、重たい空気で埋め尽くされていた気がするのお。そんな空気の中で窒息しそうだった人も、どこ吹く風だった人も、今年最後の武将日記は、しっとり… [続きを読む]
11月21日 みんな、今日もヘコんでいるかい~!Yaeeh!DJ・HIDEYOSHIだよん。今日は趣向を変えて、検定引っ下げてきたよ。戦国デイズも結構な量になってきたから、たまには過去でも振り返ってみるのもよかろう。 こ… [続きを読む]
10月8日 今日は大坂城大運動会の日。盛り上がったよ!主従二人三脚100M走では、福島正則とカニちゃんペアが、11秒57という、ありえない最高新記録で一位。二位は、宇喜多秀家と明石掃部ペア。黒田長政と後藤又兵衛ペアは、3… [続きを読む]
9月4日 今日も、ヤブー!からたくさんの人が戦国デイズに遊びに来てくれているようじゃのお。え?ヤブー!じゃない?ああ、ヤフー!ね。ヤッフー!ヤッホー!ヤッホー!ヤッホー!よし、大坂城最上階のやまびこも、ご機嫌じゃ。 今日… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第7回 シーズン・イン・ザ・サン戦国Ver.
8月15日 夏!盛り上がっている人も、盛りざがっていいる人も、今日は夏にピッタリなナンバーをDJ・HIDEYOSHIがお届け。今夜は大坂城のダンスフロアーをおぬしが、独り占めするのじゃ。若い者にはちょっとついてこれないか… [続きを読む]
豊臣秀吉くんの日記:第6回 敦盛★HIPHOPバーション2007
6月30日 今日は6月ラスト、満月じゃ!とりあえず久しぶりに、踊っておく?!じゃあ、行くぞ! 戦国は好きか?Yaeeh! 戦国を感じてるか?Yaeeh!これじゃあヘンな宗教みたいだ!Yaeeh! DJ・HIDEYOSHI… [続きを読む]
5月27日 戦国は好きか?Yaeeh! 風林火山の由布姫の言っていることがよくわからない今夜は行くぜ!踊りまくるぜ! DJ・HIDEYOSHIがお届けするダンスナンバー、レッツゴー!敦盛HIPHOPバージョン2007! … [続きを読む]
4月16日 最近、ふさぎがちなそなたに、先日、大坂城茶会の招待状を伊賀者、甲賀者などをつかって、届けさせたのじゃが、届いたかのう。 なんせ戦国時代から現代のそなたに文を届けるのは、わしの財力をもってしても難しい。 もし届… [続きを読む]
3月19日 現代では森進一殿が「おふくろさん」を歌えないらしいのう。わしのマイマザー(大政所/おおまんどころ)は今日、大坂城の畑で自分で作った大根を味噌汁にしてわしに食わせてくれた。これが「でりゃうみゃー!」かった。 お… [続きを読む]
19年2月22日 「猿はあっち行けっ!」 っておぬしは、またまたもお~! 今日はおぬしのPCをふところに温めておいたので、今日はPC、早く立ち上がったであろう。 「PCは草履じゃありませんから。」 って最もすぎること言っ… [続きを読む]
1月6日 ヘイ!ユー!正月楽しんでいるかい!? 大坂城では少年使節団が、異国の曲を演奏して、利家や家康殿などを招いて楽しくやっているYO! つらいときや悲しいときは戦国武将たちと大坂城のダンスフロアーで思いっきり踊りあか… [続きを読む]