豊臣秀吉くんの日記:第62回 木村吉清の暴政
天正一八年一〇月二三日
「奥州より只今、帰還いたしました。」
仕置軍の石田三成が復命(報告)のため、京・聚楽第においてわしに謁見。
「ご苦労であった。」
わしは肘掛けにもたれ、労(ねぎら)った。
「文武天皇の御代に分けた六十六ヶ国、これを以って関白殿下のお膝元に帰属されました。」
わしの側に居った千利休が口を開いた。
「その威風は、高麗・南蛮までになびきましょう。」
「そうじゃの。それではこの辺で、大徳寺に待たせておる朝鮮使節に会うとし――」
「兄者(あにじゃ)!」
弟の小一郎(秀長)が文を片手に突然、姿を現した。
「何じゃ。」
「葛西・大崎領で一揆が起こった。」
「しまった――」
奥州から仕置軍が帰還したならば、検地・刀狩で農民身分に落とされた者どもが一斉に蜂起。といったところか。
「一揆は北方にも広がり、和賀(わが:岩手県西部)・稗貫(ひえぬき:同県中西部)郡にも一揆が起こってしまった。」
「木村吉清(よしきよ)は?」
葛西・大崎領は仕置軍により、わしの直臣・木村吉清に渡されたはず。
「岩手沢(宮城県北部)城主は、木村の家臣の荻田三右衛門(おぎた-さんうえもん)と言って、年貢を厳しく取り立て、百姓の妻子をことごとく捕らえて縛りつけていたと。」
「十月はまさに収納の季節。」
「一揆は木村の、そのあまりの暴虐に耐えかねて蜂起したのだと。会津(福島県西部)の蒲生氏郷が伝えてきた。」
小一郎からわしは文を渡された。
「ハッ!」
三成は急に我に返ったかのようだった。
「どうした。」
「伊達政宗――」
「そうじゃ、出羽米沢(山形県南部)の政宗は何をしておる。」
「出羽国でも、仙北(せんぼく:秋田県東部)・由利(同県南部)・庄内(山形県北部)で一揆が起こったと聞く。」
「それはつまり…」
「つまり?」
「今こそ、朝鮮使節に会われるべき。」
ああ…。
使節は、わしの日本統一を祝うために来日というに。
仕置軍の帰還まで待ったというに、全く意味がなかった…
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-10-31 公開
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