第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第62回 木村吉清の暴政


豊臣秀吉天正一八年一〇月二三日

奥州より只今、帰還いたしました。

仕置軍石田三成が復命(報告)のため、京・聚楽第においてわしに謁見。

「ご苦労であった。」

わしは肘掛けにもたれ、労(ねぎら)った。

文武天皇の御代に分けた六十六ヶ国、これを以って関白殿下のお膝元に帰属されました。

わしの側に居った千利休が口を開いた。

その威風は、高麗・南蛮までになびきましょう。

「そうじゃの。それではこの辺で、大徳寺に待たせておる朝鮮使節に会うとし――」

兄者(あにじゃ)!

弟の小一郎(秀長)が文を片手に突然、姿を現した。

「何じゃ。」

葛西・大崎領で一揆が起こった。

しまった――

奥州から仕置軍が帰還したならば、検地・刀狩で農民身分に落とされた者どもが一斉に蜂起。といったところか。

一揆は北方にも広がり、和賀(わが:岩手県西部)・稗貫(ひえぬき:同県中西部)郡にも一揆が起こってしまった。

「木村吉清(よしきよ)は?」

葛西・大崎領は仕置軍により、わしの直臣・木村吉清に渡されたはず。

木村吉清

木村吉清

岩手沢(宮城県北部)城主は、木村の家臣の荻田三右衛門(おぎた-さんうえもん)と言って、年貢を厳しく取り立て、百姓の妻子をことごとく捕らえて縛りつけていたと。

十月はまさに収納の季節。

一揆は木村の、そのあまりの暴虐に耐えかねて蜂起したのだと。会津(福島県西部)の蒲生氏郷が伝えてきた。

小一郎からわしは文を渡された。

ハッ!

三成は急に我に返ったかのようだった。

「どうした。」

伊達政宗――

「そうじゃ、出羽米沢(山形県南部)の政宗は何をしておる。」

出羽国でも、仙北(せんぼく:秋田県東部)・由利(同県南部)・庄内(山形県北部)で一揆が起こったと聞く。

それはつまり…

「つまり?」

今こそ、朝鮮使節に会われるべき。

ああ…。

使節は、わしの日本統一を祝うために来日というに。

仕置軍の帰還まで待ったというに、全く意味がなかった…

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