豊臣秀吉くんの日記:第60回 奥州仕置の始まり
天正一八年一〇月五日
「何かの間違えだべ。」
出羽(福島県)米沢城主・伊達政宗は信じられなかった。
「間違えではないようです。」
政宗側近・片倉景綱が、わしからの書状を政宗に手渡した。
「関白秀吉公、小田原に参陣しなかった葛西晴信殿・大崎義隆殿を、伊達支配下の領主とは認めずに所領を没収とされました。」
このころ南奥は南(福島県)に伊達氏、北(宮城県西北部)に奥州探題職家・大崎氏、東北(宮城県東北部・岩手県南部)に広大な領域を持つ葛西氏の三大勢力があった。
南奥は政宗によってほぼ統一、伊達軍の統一下にあったが、葛西・大崎の領主権は維持されていた。
「南奥の大名としで、おらが小田原さ参陣するがら、葛西・大崎には参陣をどどまってもらっだのに…」
「彼らにどのように弁明すべ――殿、どちらへ!?」
「関白の陣中さ、決まってるべ!」
「関白はなでぎり令を出して、京へきゃーり(帰り)ましたよ。」
「ならば上洛しで、サルの首を――」
「御案内、礼を申し上げる。」
八月一八日。奥州仕置は、蒲生氏郷が大崎義隆の中新田の城を受け取ったことから始まった。政宗がその案内をした。
「サルのネズミ…。」
「は?」
政宗の言葉に、氏郷は何か聞き間違えた、と思うことにした。
「御苦労さまでございました。」
八月二二日、浅野長吉(長政)と石田三成が葛西領・登米(とめ)郡登米の地に着陣した。
「ねば。」
案内を終えてきゃーろ(帰ろう)とする政宗を、
「お待ちを。」
三成が引き止めた。
「葛西領広く、北上し、引続き仕置を行いますゆえ。」
「はあ。」
政宗が深く溜息をついた。
「はあ、って何ですか、はあって!」
「ここの言葉で、目出度い、の意味でがす~。」
「……」
三成の血の気がみるみる引いていった。
「いやいやいやあ~~政宗殿、まんず勉強になります!」
長吉がなんとか場を和らげようとした。
こうして十月に入り仕置が終わると、葛西・大崎領はわしの直臣・木村吉清に渡された。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-08-30 公開
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