豊臣秀吉くんの日記:第59回 太閤検地
天正一八年八月一二日
小田原北条氏を滅亡させたわしは、北上して七月二六日宇都宮に到着。
ここで小田原攻めに参陣しなかった葛西晴信・大崎義隆らの所領没収を決定。
ついで八月六日白川、九日に会津黒川(会津若松)に到着し、同じ理由で石川昭光(あきみつ:伊達晴宗四男)らの所領を没収した。
一〇日、わしは陸奥・出羽両国に対して、太閤検地の条目と定書を出した。
つまりは田畠の面積を三〇〇歩(ぶ)すなわち一段の基準で測り、上・中・下の品等をつけ、所在地と作人名を記す。これにより石高(米の量)で土地の生産力が掌握できる。
「何のために――」
浅野長吉(長政)四四歳が問うた。
「何のためにって!」
「検地奉行の発言とは思えない。」
会津黒川の陣中において、諸侯たちが笑った。
「実の所、わしにもようわからん。」
わしが長吉に同調すると、
「御冗談を。」
石田三成三一歳が噴き出した。太閤検地は三成の発案であった。
「この度の検地は、刀狩を伴うことに理由があります。現在、百姓だか武士だかわからない土豪・地侍が君臨しています。彼らに百姓になるか武士になるか選ばせるのです。百姓として太閤殿下の天下ために米を増産する場合、刀が必要でしょうか。」
「しかし百姓といえど、刀は日本男子の魂――」
「撫斬り(なでぎり)じゃ。」
わしは長吉の顎を扇子で上げた。
「わしの命令に従えない者は、一人も残し置かず、撫斬りにすること。例え亡所になっても差支えないゆえ、山の奥、海は艪櫂(ろかい)の続く限り入念に検地を行え。」
「何のために――」
長吉の再びの問いに、今度は諸侯一同、開いた口が塞がらなかった。
京の大徳寺で、相国寺の一介の僧(藤原惺窩)は問うた。
「秀吉様、我が国の天下統一を、国交が途絶えていた隣国・朝鮮と共にお祝いするためです。」
大徳寺に朝鮮通信使を連れてきた対馬の宗義智が答えた。
「だといいのですが。」
「と申しますと?」
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-07-28 公開
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