第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第65回 日輪の子


豊臣秀吉天正一八年一一月一九日

(朝鮮国王からの)雁書(がんしょ:手紙)を感嘆して読み、広げたりしまったりすること再三。

そもそも本朝(日本)六十余州なせりといえども、近年諸国分離し、国を乱し、礼を廃し、しこうして政を聴かず。ゆえに予(秀吉)、感に勝(た)えず。

三四年の間、逆臣を伐ち賊徒を討ち異域遠島におよび悉(ことご)く掌握に帰す。

切に考えるに、予は元々賤(いや)しき小臣なり。然りといえども予、胎児の時にあたり、慈母は日輪の懐中に入るを夢見る。

人相見曰く「日光の及ぶ所、君臨せざるは無し。壮年必ず八方(遠き果て)に仁徳の教化を聞き、四海(天下)威名を受けるは、それ何ぞ疑わんか。」と。

この奇異あるにより、敵心なす者は自然摧滅(さいめつ:砕け滅び)、戦わば即ち勝たざるは無く、攻むれば即ち取らざるは無し。既に天下大いに治まり、百姓を慈しみ育て、孤独を憐れむ。

ゆえに民は富み、財は足り、土産(どさん)の貢物は永久に万倍す。本朝開闢以来、朝廷の催し、洛陽(京)の壮麗、この日の如くはなきなり。それ、人の世に生まるるや長生(ちょうせい)を得るといえども、古来百年に満たず。鬱々として久しくここに居す。予、国家の山海の遠きを隔てるをいさぎよしとせず。

ひと超え大明国に直入し、吾が朝の風俗を四百余州に易(か)え、京都の政化を億万年に施すは心中に在り。

貴国を先駆して入朝するは、遠い先まで配慮あれば、近いうちの心配事はないのではないか(有遠慮無近憂者乎)。遠い邦(くに)小島の海中に在る者、後れて進む者は許容すべからざるなり。

予、大明に入るの日、士卒将(ひき)いて軍営に臨めば、即ちいよいよ誓いを修むべきなり。予の願い、他に無し。ただ美名を三国に顕わさんのみ。方物は目録のごとく納む。珍重し愛(お)しめ。不宣(ふせん)。

天正一八年仲冬 日 日本国 関白秀吉

 

西笑承兌

西笑承兌

堺浦にある朝鮮使節副使・金誠一は、書状の辞(ことば)が敬(うやま)いならざること紙に充満し、到底受け入れられなかった。しかし中国の故事を踏まえた、煥乎(かんこ:光輝く)たる文章…

ヌガ(誰が)――

この書状を大高檀紙(おおたかだんし:和紙の一)を以て書いたは、鹿苑院高僧・西笑承兌(さいしょう-しょうたい)四三歳。

接近してきたのは、わしではなく承兌の方であった。

「日輪の子――」

驚嘆したのは使節ではなく、わしの方かもしれなかった。

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