豊臣秀吉くんの日記:第51回 耳と鼻の始まり
天正一八年四月一三日
「茶湯を身すぎ(なりわい)に致す事、口惜しき次第。」
天正二年三月、信長公は、内裏から名香の蘭奢待(らんじゃたい)切り取りの勅許を得た。
これにより東大寺正倉院から蘭奢待を運び出され、本法に従い一寸八分切り取られた。
室町八代将軍・足利義政が正倉院で切って以来の唯ならぬ事。
後日、相国寺の上様御会において、友閑老、津田宗及、今井宗久、そして我が師が招かれ、蘭奢待の拝領を受けるという――
「その手を放せ。」
いまだ信長公の茶頭でなかった宗易(利休)は、弟子に腕を摑まれた。
「我が茶湯を取り乱し、天下へ出て坊主顔する津田・今井の仲間入りをされるのですか。」
山上宗二は、一七の頃から仕える師を制止した。
「天下へ出て、私が、我が茶湯を取り乱すとでも?」
「小田原より只今戻りました。」
箱根湯本の早雲寺に本陣を構えるわしの前に、利休が伏した。
「思ったより早い帰還じゃの。」
「韮山(にらやま)の竹にて作りました。」
利休はわしに自作の花入を進上。わしは手に取り一瞥して
「いつの間にこのような…。小田原は退屈であったか。」
と尋ねた。
「いえ、伺いたき儀、ごさいまして急ぎ戻りました。」
「果たしてこれのことかな。」
わしは一つの箱を差し出した。
「恐れながら…」
利休は、そっと蓋を開けた。
「これは…」
利休は一瞬にして蓋を閉めた。
「だ、だれの耳と鼻…」
「山上宗二。」
「何故、このような惨殺を?」
「小田原城から皆川広照と共に投降した際に、こともあろうに宗二はわしに北条氏政・氏直父子の命乞いをしおった。」
「たわいなきこと。」
「曲がりなりにも、かつてわしに仕えていた茶人。本来なら小田原城内の様子を伝えるべきを…」
「わたくしからも、我が弟子を迎え入れ、その才を思う存分発揮させてくださった北条父子の助命を嘆願いたし――」
「コン!」
庭前に投げ捨てた、利休の花入が石に当たった。
利休はその音に、庭を振り返った。
ヒビが入ったのは花入か。それともわしと利休の関係か。
困ったものじゃ。
蘭奢待の切り取りより余程――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2022-12-02 公開
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