藤原惺窩くんの日記:第8回 秀次事件と大地震と大戦争


藤原惺窩戦国28年9月20日

明へ遊学を企てた私は、今年六月に京都から薩摩に向かい、翌月に浜之市(大隈北部)で島津義弘様と伊集院忠棟様に面会、承諾を得て出帆。

ここ山川津(薩摩半島東南端の港)に到って、入明の船を待っていた。

その間、私はこの地の役人・竹下宗意殿に、呂宋(ルソン)のギヤマン(ガラス製)の器(コップ)で葡萄酒をもてなされ、南蛮人が記した世界図まで見せてもらった。

「ここが琉球で、ここが呂宋でしょうか。」

と私が尋ねると、

その通り!流石先生、何でも知っているのですね。

「タダの勘です。」

その時、

竹下様!

と知らない人が突然、部屋に入って来た。

おお、平次郎、よう帰って来た。京はどうであった?

どうもこうもありません!閏七月一二日、私は京において大地震に遭遇して、死にかけました。

「え?」

聴けば彼は京へ旅に出かけていた、この地の住人だという。

京の家々は破損し、人々は落胆、白日暗夜のようで灰の雨が降りました。

関白秀次の祟りだ!

秀次公は、太閤に謀反の疑いをかけられて一年前に高野山で切腹させられた。

豊臣秀吉with西笑承兌・加藤清正

豊臣秀吉with西笑承兌・加藤清正

「伏見城の太閤は?」

城は倒壊しましたが、太閤は救い出されたとか。

それでは先生。朝鮮侵攻、秀次切腹事件、大地震、次は再び朝鮮侵攻でしょうか?

「覚悟せねばなりません。

『詩経』に、永く言(ここ)に命を配し、自ら多福を求む(末永く天命と共にあり、自ら幸せを求めよ(大雅・文王篇))――とあります。

自然は移り変わるから神的なのであり、幸福は天命の外にではなく内にありましょう。」

――負けるものか!

世界図に再び目を向けて私は、決意を新たにした。

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