藤原惺窩くんの日記:第19回 博士・姜沆、日本に至る
9月17日
明への遊学が失敗に終わり、播磨のあばら屋に戻って数ヶ月。
これから先どうしようと思っていたら、相国寺のかつての弟子らが私を訪ね、漢学の教えを講うた。これ幸いと、私は弟子が持参してくれた食料や衣類などをもらい、各々に学を講じた。
諸大名から私に学を請われることもあった。報酬は京に住まいを与えるとか、希望通りいかようにもと言われた大名もあった。私のような者に何故このようなお声がかかるのか、意味がわからない。
私は誰かに仕官したいと思わなかった。暮らしは楽ではないが、今は一人、学問に打ち込みたかった。
然しながら朝鮮再出兵となり、戦争が激化する中で、日本はより憔悴していった。男は百姓も徴兵され、耕作する人の数が減り、田畑はどこも荒れ果てた。
私の弟子は、また一人、また一人と顔を見せなくなった。
「先生、お恥ずかしながらこれしか…」
少しばかりの葉物を携え弟子の一人がやって来た。
「よく来てくれました。」
と私はその葉物を有り難く受け取り、我が畑で取れた作物をこの若い弟子に与えた。
「先生、畑は下手ですね。」
弟子は涙交じりの声で笑った。
「字も下手ですよ。」
「そんな…」
「疏食(そし/粗末な食べ物)を食らい、(ただの)水を飲み、ひじを曲げてこれを枕とす、」
「楽しみまたその中に在り(論語・述而)」
「よく出来ました。」
私が誉めると、ざそや暮らしに疲れていたのか、弟子はわんわん泣いた。
その頃、朝鮮全羅道南原で藤堂高虎軍に捕らわれ船に乗せられた博士・姜沆(カンハン)が海を渡り、日本に至った。その身は今、藤堂氏の国・伊予(愛媛県)大洲にあった。
カテゴリ:藤原惺窩くんの日記 | 2018-09-17 公開
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