第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第31回 箸


豊臣秀吉天正一五年九月三〇日

”箸で食事をする習慣は、3~7世紀に中国から伝わったというのが定説です。一説には遣隋使小野妹子が608年に帰朝した際、隋の使者を歓迎する宴で初めて公式に使われたとも言われています。

ただ、西南学院の高倉洋彰教授(考古学)は、福岡県の弥生時代中期初頭(紀元前200年頃)の遺跡から、さじなどと一緒に箸状の木製品が見つかったことから、稲作とともに伝来した可能性もあると指摘しています。”

戸丸由紀子記者 読売新聞夕刊 2012年4月24日

 

我が国の遣いは常に朝鮮に行っても朝鮮の遣いは来ない。これは我を卑しむものなり。と関白殿下は仰せである。

朝鮮に渡った対馬宗家有力家臣である橘康広は、朝鮮朝廷にわしの言(ことば)を伝えた。

そして「天下、朕の一握に帰す」と書かれたわしの書を奉じた。

橘康広が来るやいなや、朝鮮国王は言った。

このような倨(おご)り高ぶった書は見たことがない。日本はすなわち簒弑(さんしい)の国。その遣いを接待すべからず。まさに大義をもって送り返せ。

そして従二品以上(大臣)にその可否を議論することを命じる。皆、考えるに、

教化の外の国は、礼の道をもって責めてはいけない。使臣(公使)が来たら、例によって接待しましょう。

国王はこれに従った。

 

帰国した橘康広は、朝鮮からの回答を首を長ごうして待っていたわしに告げた。

水路蒙昧をもってして、遣いを許さない。と。

驚いた。このような役立たず、かつて見たことがない。

橘康広の首が落ちる瞬間。

わしは今宵の膳に箸を付けた。

温かいゆずの吸い物をすすれば、嗚呼、癒されるう~ッ!

秀吉黄金の箸

秀吉黄金の箸

 

己を振り返る暇もない。

だから日々愛用している箸が、海を渡り、日本に伝来した遠い昔に思いをはせることもない。

てか、そんなヤツいる!?

しゃらくさっ!

遅れをとるな。

皆、己を広げるために、ひたすら前を向いて走っている。

そういえば、琉球王尚寧とやらの返事もまだであった。

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