徳川家康くんの日記:第35回 無腰の秀吉、屈辱、瞬間の君臨


徳川家康戦国27年8月20日

はろ~!みんな大好き家康公だよ?

先日、畿内に大地震があった為、わしは急ぎ太閤殿下(豊臣秀吉)が居る京の伏見城に馳せ参じた。伏見城は倒壊し、殿下は無事であった。(しぶとい。)

そのあとすぐ、天皇が心配だということで、殿下と共にわしは京の御所に向かうことになった。

しかし殿下のお供をする家臣がまだ揃(そろ)わない。そこで徳川の家来らが殿下の家来となって出立した。

わしは久しい間、刀を持たないので、今日は特に腰の辺りが重くて耐えられぬ。徳川殿の従臣の誰かにお持たせくだされ。

と殿下が仰せられたので、わし自ら殿下の刀を持った。

それでは返って心苦しい。どうか家臣の者に。

と仰せられたので、わしは井伊直政に渡した。

そこうしているうちに、殿下の家来がだんだん馳せ参じ、豊臣の駕籠(かご)も運んできたので、殿下がその駕籠に乗り移ろうとした。

その時、殿下は徳川の列にいた本多忠勝を呼び付け、こうおっしゃった。

貴様らは、腹の中では今日こそが秀吉を討つ機会と思っていたであろう。

おまえに刀を持たせなら、面白いことになっていたであろうか。

所詮、貴様らは小気者(しょうきもの・気が小さい者)であった。小気者よ、小気者よ!

忠勝は黙って拳(こぶし)を握りしめていた。

 

豊臣秀吉

豊臣秀吉

その日の帰り道、わしに側近の本多佐渡は言った。

殿。瞬間の君臨ではなく、永続的な存在を望むのなら、その分、長い間、愚か者、田舎者と呼ばれていなければなりませぬ。耐え続けていられますか?

わしは天を仰いだ。

大地震の傷も癒えぬまま、近いうちに殿下の命で再び朝鮮侵攻が開始されるであろう。

瞬間の君臨なんぞ、太閤にくれてやれ!

本当の闘いはこれからであった。

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