加藤清正くんの日記:第44回 相良長毎


加藤清正戦国29年12月22日

日本男子たるもの、御国に殉じる覚悟で他国を侵し、日本の武威を世に轟かすべきであろう。しかしすぐに音(ね)を上げ、こらえ性がない、婦女子のような輩が多すぎる!

第二軍の加藤清正一万、鍋島直茂一万二千、相良長毎(ながつね)八〇〇が、朝鮮東北部・咸鏡道に進軍し、ここを制圧して約半年。

徹底的に年貢を徴収し静謐に統治していたが、二ヶ月前より、わしの配下が守備する咸鏡道・吉州(キルジュ)城は、鄭文孚ら義兵軍に包囲された。

あまつさえ咸鏡道・安辺に本陣を置く清正本隊は、夏に捕らえた朝鮮二王子の順和君(スンファグン)と臨海君(イムヘグン)の警護に兵を割かねばならなかった。

直ちに救援に向かえないのは不徳と致すところだが、吉州城の日本軍は、寒さと飢えと恐怖に耐え兼ね、朝鮮側に投降する者が後を絶たない。

この聖戦。なぜ御国のために己を捨てて戦おうとしないのだ。朝鮮人に命乞いをするなど、サムライと言えるだろうか。

「恥を知れ!」

相良長毎

相良長毎

とわしは怒りの余り、間者からの吉州の現状の報せた文を破り捨てた。その時、

キヨマサドノ、オショガツ(お正月)ハ、ゴチソウデスカ?

と朝鮮王子・順和君が兄の臨海君と共にわしの部屋に入って来た。

オセチリョリ(おせち料理)トヤラヲ、タベテヤッテモヨイゾ。

と臨海君は笑みを浮かべた。

「年末年始も吉州籠城戦だよ!」

誰なんだ、こいつらにいらぬ日本語を教えているのは!

それが相良長毎一九歳とは、このときはまだ知る由もなかった。

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