豊臣秀吉くんの日記:第37回 関東の王・北条氏直
天正一七年八月一五日
「倭はどのくらいか。」
高麗(朝鮮)王・宣祖(ソンジョ)三八歳の夕講から始まった臣下との論議は、飛鳥が森に帰り、日は海に沈むもいまだ止まず。
「七〇艘と言い、約六千余です。」
と辺協(ピョニョプ)将軍六二歳は宣祖の問いに答えた。
「数三万で押し寄せてくる勢はあるか。」
「倭船は唐船に及ばず、一艘は百名を載せるに過ぎず。百艘は即ち万、万以下は来ないに等しいです。」
「むしろ辺地に立てこもり、陸は助ける理はないのか。」
「主客(味方と敵)同じからず。即ちかないません。」
「聖教至当(儒教至って当然)。我が国の通史をもってみれば、平安・咸鏡には居るべき所がなく、到りませんでした。英廟末年(1419年5月、飢饉に窮した倭寇と化した対馬島民が)三三艘が(忠清道)庇仁を犯し、三八艘は(黄海道)海州を犯しました。」
と司諫院献納(正五品)兪大進(ユテジン)三六歳は述べた。
「その時の倭人は、我が国の海路を習知していました。今は海路を知りません。忠清道には恐らく入ることができません。」
「そうではない。我が国のことは、彼らが知らないことはない。もし日本勢が全羅道に達すると知って、他道より入れば則ちどうするのか。」
「小賊なれば即ち(慶尚道)天城・加徳を慮らねばなりません。大賊なれば即ち何処に入来させないようにすべきか…」
「今の日本に国交を断つ勢があるのか。」
「ただ対馬は我が国より厚い利益を受け、或いは再び通信を請うのみ。彼は即ち友好の理を知ります。」
「対馬はどうして思い通りにならぬのか。もし断交すれば即ち事変が多い。」
「申し上げます。」
京・聚楽第で酒肴を楽しんでいるところに、長吉(浅野長政)がやって来た。
「くるしゅうない。」
「ははっ。只今、坂東(関東)より文が届き、北条氏直殿の名代として氏規(うじのり)殿、京に向かって発したとのこと。」
「ようやく東国の王は吾に帰属する気になったか。目出度い、飲め!」
「ははっ。」
長吉はわしの側近くに駆け寄り、わしからの盃を賜った。
かくして今宵、他の姫君、家臣たちにも酒を振る舞って、わし自ら舞った。
わしのことで高麗王がこの瞬間も、論を交わしているとは露知らず――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2021-08-27 公開
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