豊臣秀吉くんの日記:第38回 同じ月の下で
天正一七年八月一五日
「誠に然り。多くは来ないといえど、日本の軽兵しばしば犯せば、我が国は困窮します。」
高麗(朝鮮)王・宣祖(ソンジョ)三八歳の夕講から始まった臣下との論議は、夜空に丸い月がぽっかり浮かぶもまだ続く。
辺協(ピョニョプ)将軍六二歳は続けて言う。
「且つ今は、日本の使者らがもたらし来る貿易の物は多いか少ないか。多ければ即ち単に利があるとし、他意はないでしょう。少なければ即ち誠によく考えるべき。」
「もたらす物は小なりと言う。副使(宗義智)は或いは将の才ある人と言う。或いは対馬の子にあらず、則ち秀吉の子と言う。どうか。」
宣祖は辺協将軍に問うた。
「決して島主の子に非ず。国王親族にして豪奢でありますが、遠く考えをめぐらせることは無い者です。」
「無能といえど副使はどうして敢えて他人の父を言うのか。且つ秀吉は忙しいとし、使者をよこせとは何の意か。」
「副使は威を借りて人心を鎮定せんと欲するか、そもそも亀裂を我に開かんとするか。いまだわかりません。」
「通信使は決して送るべからず。ただ厚い贈り物をもって、これをいざなうのは如何。」
「うるわしい紋章のような物と同等がよいでしょう。」
「副使に接見するのはどうだ。」
「副使とは既に文書をもって通じています。接見は何の妨げになりましょう。宮廷の酒宴は、まさに穢れ度合を測るに宜しいかと。」
「平時は即ち通信することは何ぞ難しくない。ただ今の彼らは掠め取る賊にて難しい。経筵官をもって如何となす。」
許筵(ホソン)四二歳が進んで言う。
「聖教(儒教)はすなわち万世不易の定論。それは人の常に踏むべき道を植え付けるに至れり。ただ戦争に従い、辺境安らかず、人災恐れるのみ。かの悪は、何ぞ我に関わりありましょう。私は、両国相互に使者を派遣するもまた、できないことではないと思います。」
「殿ッ!」
今宵の宴は、ちと呑みすぎたようじゃ。
「お風邪を引きまする。」
長吉(浅野長政)の声も遠くなって、聚楽第の月見台でわしは眠りに落ちてしもうた。
まさか高麗王が対馬守(宋義智)を漢城(ソウル)に留め置いたまま、いまだ論を交わしているとは夢にも思わず――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2021-09-28 公開
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