豊臣秀吉くんの日記:第35回 二度目の日本通信使


豊臣秀吉天正一七年六月二五日

宣慰使(臨時職・日本使節応対)李徳馨(イ・ドキョン)が書状で申し上げます。

対馬島主・宗義智は副官として、僧の景轍玄蘇を正官として随行八人を率い、合わせて二五人で来ました。

義智は鞍と馬一匹及び雑物を並べて、評価額を定めるよう言いました。また彼らは日本へ通信使派遣の一事のみを願うために来たと言います。

臣答えて『進物目録にない物を私が密かにいただくことはできません。まさに朝廷に申上げ、もって処置を待つべし。』

この報を受けて

日本国使・橘康宏が来朝したのは二年前でありました。

都承旨(トスンジ/王の秘書室長)趙仁後が国王宣祖(ソンジョ)に申し上げた。

恐れながら義智は日本大将・行長の娘婿、義智の臣・橘康宏はその任に応えること能わず、国王秀吉によって殺されました。

と右副都承旨・黄祐漢が続けて申し上げた。

義智一行は東平館(日本の使者を滞在させるために置かれた漢城の宿所)に留めているとのこと。仁政殿にて謁見させるにしても、通信の可否について決してからになりましょう。

と右承旨・李裕仁が申し上げた。

宣祖は黙って臣下の意見を聞いていた。

 

高麗より、対馬守(義智)が飛脚を送って来ました。

高麗人は出帆することを確かに請けて申し上げた、とのことを文で言ってよこしました。然しながら遠い国なので、年内の往来難しく、正月中には召し連れて渡らせたいです。

高麗へ遣わした使者の島井宗室が今明日中に帰りますので、これまた召し連れて登り、高麗の様子を申し上げます。さきにご報告まで申し上げます。

と浅野長吉が小西摂津守(行長)からの文を読み上げた。

李徳馨(イ・ドキョン)

李徳馨(イ・ドキョン)

「でかしたぞ、義智!」

とわしは思わず立ち上がって叫んだ。

おめでとうございます。こたびの成功は義智殿の慎み深い人柄によるものでしょうか。

と長吉は摂津からの文を折りたたんだ。

ほんに、よかった。

詩三百を誦(しょう)するも、これに授くるに政をもってして達せず、四方に使いして専(ひとり)対えること能わず。

高麗人でもあるまいし、論語が頭をよぎることもない。

まこと、助かった。

橘康宏の時のように対馬守を殺(あや)めずに済みそうで――

 

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