豊臣秀吉くんの日記:第68回 木村吉清父子の救出
天正一八年一一月二九日
既にここに書いてきたことではあるが――
仕置きが済んだ奥州の葛西大崎領は、わしの直臣である木村吉清(よしきよ)に渡した。
そのあと、葛西大崎領で一揆が起こった。
これにより木村吉清は、子息の吉久と共に栗原郡(宮城県)佐沼城で一揆勢に包囲された。
一揆鎮圧には、会津若松に入部して間もない蒲生氏郷と、奥州の探題役を自任してきた伊達政宗を任命。
一一月一四日、わしの命を受けた氏郷は、政宗の陣所・黒川郡(宮城県)下草城に出向いて作戦会議を行った。
しかし一六日、氏郷は突然、名生(みょう)城(宮城県古川市大崎)を攻略し、ここに籠城してしまった。
政宗は一揆と同心して、饗応の場で氏郷を討ち果たすつもりである――との伊達家の家臣・須田伯耆(ほうき)の密告を信じたからである。
「葛西晴信殿に告げよ。」
政宗は、度々連絡がある葛西旧臣の文を手に言った。
「どのようなことがあっても、伊勢守(木村吉清)の命を助けることが念願である、と。」
「木村父子を助けるのですか。」
政宗側近の片倉景綱は、思わず声を張り上げた。
上方から下った、成り上がり木村吉清の治政は、非道極まるものがあった。
「木村父子が佐沼に籠城してから数十日、兵粮も乏しくなり、時間がない。氏郷殿には今一度、佐沼攻めを告げよ。」
一一月二四日、伊達政宗軍が佐沼城に押し寄せた。
そこに蒲生氏郷軍は現れなかった。
「佐沼城を取り巻いていた一揆勢は、伊達政宗出馬を聞いて退散、木村吉清父子は無事救出されたとのこと。」
聚楽邸において、弟の小一郎(秀長)は文を手に、わしに告げた。
「忠三(蒲生氏郷)は?」
「再び奥州に入った長吉(浅野長政)よれば、これから当人に事情を聴くとのこと。」
誠にそのようなことが書かれているのだろうか。
「政宗に褒美を与えねば。」
「その前に、利休にも伝えねば――」
そう言って小一郎は部屋を出た。
颯爽に長い廊下を歩き、曲がったとき、
パチン!
数寄屋で一人、利休が椿の枝を切った。
小一郎は、胸を抑えて、膝を折った。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2024-04-29 公開
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