第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第67回 弟・秀長からの諫言


豊臣秀吉天正一八年一一月二三日

今日は雲一つない蒼天で、側室や臣の者らを連れて、久々に聚楽第の庭を巡った。

池に架かる橋の上に立つと、魚たちは跳ね躍(おど)って水面に波紋が広がった。

供の者らが何やら、ざわつきはじめた。

橋の向こうに目をやると、弟の小一郎(秀長)が立っていた。

久しぶりにのんびり皆と楽しんでおったのに、水を差された気分だった。

 

お人払いを。

小一郎の言葉を聞いて、供の者らは速やかに退き、蒼天の下、兄弟二人だけになった。

高麗へ出兵なさるおつもりか。

突然、小一郎は片手で紙をわしに突き出した。

朝鮮国王への返書に唐入りを明言し、これを以って公けにしてしまったとは――

「だから何じゃ。」

小一郎の手にするは、返書の写しであった。

唐入りは母上(大政所)もよく思っておられぬ。

「お鶴(鶴松)が生まれたのじゃ。」

そのずっと前から唐入りの噂は立っていた。

「大政所(おおまんどころ)様にはわしからよ~~言って聞かす。」

そう、兄者(あにじゃ)はまごうかたなき”なか”(大政所)の子。日輪の子って何なんだ。

「日輪の子の生みの親――則ち返書を書いたは、相国寺禅僧・西笑承兌(しょうたい)。吾(われ)は第五〇世・鹿苑僧録(ろくおんそうろく)であって命(めい:辞令)を為(つく)るところあり、と親ら買って出てたのだ。」

鹿苑僧録って…足利義満の時代でもあるまいし、室町殿(幕府)も滅亡し、まだそのような職があるか。

「則ち相国寺を立て直したいのじゃろ。」

天下を取って気付いたことがある。善からぬ人間が近付いてくるということだ。

「これからは承兌や三成など、文や算に通じる者が必要と思わぬか。」

豊臣秀長

豊臣秀長

予(われ)に逆らわぬ者の間違いだろ。

「そなたは九州征伐の際も、わしに相談もなく勝手に島津家久と話をつけおった。」

この秀長の目の黒いうちは、唐入りなど言語道断。

「誰か、だれかおらぬか!」

木々の影から幾人かが飛び出し、小一郎の腕をつかんだ。

何をする、離せ!

「連れて行け。」

家名を穢(けが)す気かあああ!!

塵一つない蒼天に、小一郎の声だけが空しく響き渡った。

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