豊臣秀吉くんの日記:第48回 北野大茶湯
天正一八年三月一日
遡ること天正一五年九月、洛の上下、堺・奈良の諸所に高札が立った。
“来る十月朔日、北野天満宮社頭、松原において茶湯興行を行う。
数寄の者ならば貴賤、貧富こだわらず、唐国の者までも罷り出ること。美麗を禁じ倹約を好んで営み、また秀吉数十年求め置き候 諸道具を飾り立て置けば、望み次第見物せよ。”
さて当日になると、北野松原は大茶湯と化した。誠に数寄者ども逸興もかなと、小屋構えを工夫し費やしたので、茶席八百余が北野方一里に一間の空所もなく立った。
わしは自ら点茶すると共に、境内に珍器を飾り置いた。
昼食後は茶屋を見て歩き、目を止めた茶屋数件で茶を飲んだ。
その間、わしの筆頭茶頭・千利休は、ある人を探していた。
暮れになって、わしは一段の御機嫌で聚楽第に帰った。
「山上宗二は現れなかったな。」
いまだ境内に残る小一郎(秀長:秀吉弟)が言った。
「そのようでした。」
と千利休はわしの珍器を木箱に入れた。
「宗二は、兄者(あにじゃ)の茶頭であったが機嫌を損ねた。その後に前田利家公に召し抱えられ、次いで私が引き取ったが、ちょうど一年前に出て行ってしまった。」
「私とは真逆なのです…」
利休と小一郎は笑った。
「しかし利休居士の茶を再現できるのは、宗二のみ。信長公の時代より師の側にあって、宗二のみが知る奥義もあろう。」
「師は、弟子が生きているのか死んでいるのかもわかりませぬ。」
宗二はわしの夢にすら現れなかった。
それもそのはず。この度の一興、九州の島津を平定したわしが、天下の名器を北野に披露し、その威光を示して、人心を掌握するためのものであったから。
その晩、山上宗二は高野山で師である利休の茶を記した『山上宗二記』を執筆をようやく終えた。
問題は『宗二記』を誰に託すか――
「これより小田原へ出陣す。」
本日早朝、わしは三万二〇〇〇の大軍を率いて京都を出発した。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2022-08-28 公開
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