豊臣秀吉くんの日記:第47回 山上宗二
天正一七年一二月一五日
「小田原で茶の湯が盛んなど、思いも寄らぬことでした。」
瓢庵(ひょうあん)――こと山上宗二(やまのうえ-そうじ)が坂東に下向していたなど、思いも寄らぬこと。しかし、この秀吉にとってはどうでもよいことであった。
「それはどういう意味でしょうか。」
小田原にて北条当主の父・氏政は、高麗茶碗を回して、亭主・瓢庵側に戻して置いた。
「あかーん!私の無礼は生涯、治らなぬようです。」
と瓢庵は、戻ってきた高麗茶碗を手に取った。
「ハハハ…他国の方は皆一様に驚きまする。
下野(しもつけ)の天明釜(てんみょうがま:茶の湯窯)は、丸みを帯び、筑前の芦屋釜と並び称されています。利休居士(こじ)の高弟・瓢庵殿にご指南を受け、関八州では益々茶の湯が盛んになり、類似の窯として小田原天明も作られました。」
「固(もと)より、慎ましきを重んじるも、芸に遊ぶ御家風あればこそ。私は秀吉の茶頭の一人でしたが機嫌を損ねて、前田利家公の庇護を受けましたがうまくいかず、秀長公の茶頭の後、高野山に上り下山したのです。」
「しかしここは直(じき)、戦火に包まれましょう。他国へお逃げにならないのですか。」
「これ以上、どこへ行けというのですか。今こそ受けたご恩に報いるべき。」
「あかーん!昨今ではなかなか見かけぬ、頑固モノ。」
「フフ、相模守様(氏政)には遠く及びませぬ。」
と瓢庵は高麗茶碗に薄茶を入れ、氏政に戻した。
「小田原天明なるをご存知ですか。」
聚楽邸で、わしが弟の秀長と小田原出陣における陣立てを固めている時に、わしの筆頭茶頭・千利休が珍しく口を挟んだ。
「茶の湯窯か。」
と秀長が聞き返すと、
「さようにござります。」
と千利休は生けた椿を横にして答えた。
「下野ではなく、小田原の天明なるがあるか。」
「堺・納屋衆の風聞ですが。」
「実に興味ある。小田原を落として、氏政の首と共に手に入れるべし。」
イチ数寄者(すきしゃ)としてわしは胸が高鳴った。
「近年小田原は茶の湯が盛んのようでして、どういう理由(わけ)なのだろうかと…」
利休は何故か浮かない顔をしていた。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2022-07-29 公開
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