豊臣秀吉くんの日記:第46回 小田原への宣戦布告


豊臣秀吉天正一七年一一月三〇日

わしが諸大名に小田原への出陣を命じた時、知るよしもないが朝鮮では――

 

何故私が倭国へ!?

通信使に任命された司成金誠一(キム・ソンイル)が、彼の職場である成均館にやって来た柳成龍に訴えた。

倭国に使節を遣わすか否か、朝廷では数か月に及び議論が紛糾、収拾がつかなった。しかしいざ、使節の派遣が決まれば、遣わすべき者はあっさり決まった。

と柳成龍は胸を撫で下ろした。

ちょっと待ってください。勝手に決められても…

危邦には入らず、乱邦には居らず…(論語 泰伯)」

駄目じゃないですか!

冗談だよ。これは王命であるぞ。人一倍、礼や文に通ずる、そなたの他に誰が適任というのか。

私が適任であるなら何故、西人(ソイン)派の黄允吉(ファン・ユンギル)が正使で、東人(トンイン)派のこの私が副使なのですか。しかも位は同じ従三品といえど、あちらは地方官ですよ。

やはり、誠一しかいない…

意味がわからないです!

無事帰国し復命(報告)したならば、王様も大いに喜ばれ労(ねぎら)い、大臣を以って誠一を堂上(タンサン:正三品)に登らすよう、お命じ下さるであろう。

虎穴に入らざれば…か。

使節を殺すほど、秀吉も礼をわきまえぬ王ではあるまい。

 

北条氏政

北条氏政

知るよしもないが小田原当主の父・氏政は、わしからの宣戦布告の状を地に叩きて、弟・氏照に向かって言った――

「奴はこんな書状一枚で我等をはいつくばらせようとしている。誰がその手に乗るものか。戦いを挑んできたら、水鳥のはばたきででも敗走させようぞ。わしは座ったまま奴が平維盛(これもり)の二の舞を演ずるのを見物してやる――」

 

小田原への出陣の命に対し、奥州の最上義光、津軽為信、南部信直、秋田実季、佐竹義宣らは返書にて応じた。

相変わらず伊達政宗からの返答がない。

権力に逆らっても無駄なことだから、かつてわしなんぞ信長様だけでなく、信長様の小姓・森蘭丸にも礼を尽くし金品の贈答を欠かさなかった。

田舎武者には難しいかな?!

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