豊臣秀吉くんの日記:第84回 検地帳ば出してくいやんせ
天正一九年五月四日
「明年、関白秀吉さぁが高麗出陣に就くと考えちょって、諸国に検地帳ば出せっち命じられて、わいにも頼まれもした。」
島津義弘五七歳はそう言って、家老の新納(にいろ)長住三九歳に豊臣奉行らの連署状を渡した。
「こげんなった上は、おはんは白浜次郎左衛門と一緒に京ば立って、鹿児島のにいさまに、こいば伝えちくいやんせ。」
「それはもちろんですが、高麗御陣とは…」
長住は耳を疑った。
「石田三成さぁからじかに言われたこっじゃった。」
「書状は長束・増田・石田・法印(玄以)の連署で、奉行筆頭の浅野長吉様の名が見えませぬが。」
「浅野さぁは二本松におっじゃっど。昨年、奥州で検地ばしよった時に、一揆が起こったっがよ。そいで伊達さぁは本領の米沢ば失うて、岩出山に国ば移されもした。」
「高麗へ渡る軍勢は奥州にも及ぶのでしょうか。」
「そんげなこつ、知らんど。」
「龍伯様(義久:義弘兄)は何というでしょう。」
「わいとおまんば高麗に送っだけのこっじゃっど。」
義弘は外に目をやり、浮雲を眺めた。
「お待ちくだされ。」
昼講にて、弘文館・副堤学(従二品)・金睟(キム・ス)四五歳が進み出て、王に告げる。
「平秀吉はすなわち狂って道に悖(もと)る一夫。その言葉は、恐れ動揺するより出ます。この実無き言葉をもって、奏上に至るは、何ぞこれ宜しきか。」
宣祖(ソンジョ)四〇歳はうんざり気味で、黄廷彧(ファン・ジョンウク)六〇歳を顧みて言う。
「兵判(兵曹判書/正二品)の意は如何。」
「我が国は天朝(明)に事(つか)えること二百年。忠勤至れり。今、この倭情を聞けば、どうして平気で奏上しないことができましょうか。」
「大義はもとよりそのようでありますが、使臣三人の所見が同じではありません。実無き証拠ではないですか。」
やかましい音(ね)が今日も大坂城に響き渡る。
もうすぐ三歳の誕生日。
我が子が元気に育っている証拠じゃった。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2025-08-30 公開
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