豊臣秀吉くんの日記:第71回 氏郷の人質
天正一九年一月五日
「奥州探題・伊達政宗が臣、伊達成実(しげざね)参上仕った。門を開けるべし。」
大崎義隆の居城であった玉造郡名生(みょう)城(宮城県古川市大崎)。
昨年一一月一六日、蒲生氏郷はここを攻略して立て籠もっていた。政宗が一揆と同心して、討たれる疑念が晴れなかったからじゃ。
「何も正月元旦に!」
慌てて館の表の外に出た氏郷三六歳。
「これも何かの陰謀ですか。」
「木村吉清といい、上方の奴らは陰気くさ――」
と言いかけた政宗従弟の成実二四歳。その口を、政宗叔父の国分(こくぶん)盛重がふさいだ。
「不出来な人質ではございますが、宜しくお願い申す。」
と盛重は、成実の頭上を掴んで下に向けさせた。
「お断りします。」
「え。」
成実と盛重は硬直した。政宗に、成実を人質として要求してきたのは氏郷だった。
「政宗殿に正月のご挨拶をしたく、案内していただけますか。」
「ご注進申し上げます。」
四日後の、政宗宿所の飯坂(福島市)。
「何だべ。成実が氏郷に斬られたか。」
政宗二五歳が弓始めとして、臣の者たちの前で矢を放った。
「いえ、浅野長吉殿からの急ぎの報(しら)せにございます。」
と、政宗の叔父で盛重の兄である留守政景が答えた。
矢は侯(こう:的)の正(中心)を出た。
「はあ。今度は何だべ。」
政宗は深いため息をついた。
「秀吉公、奥州再征を決め、家康公・秀次公に先鋒を命じ、自身は三月一日に御出馬とのこと。」
「はああ!?」
「申し訳ございません!」
と和久宗是でさえ掴めなかったこの報せは、利休の消息によって、長吉の耳に達したものだった。
「上洛しかないな。」
突然成実が、盛重および氏郷らを伴って現れた。
「もう、疲れだ…」
その姿を見た瞬間、政宗が泣き崩れた。
「関白殿下に申し開きできれば――」
成実の言葉に氏郷が付け加えた。
「おめえにだけは言われだくない…」
「それもそうだ。」
氏郷は清酒を置いて、一人去って行った。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2024-07-30 公開
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