豊臣秀吉くんの日記:第55回 小田原北条氏の最期
天正一八年七月一一日
「美濃守!」
氏直が、小田原城に突然現れた叔父・氏規(美濃守)の姿を見て、声を上げた。
「使者に始まり、使者に終わる私をお許しください。」
と謝罪する氏規に、氏直は首を横に振り、
「よくぞご無事で。」
と労(ねぎら)った。
「二年前は北条の使者として、秀吉に接見するため上洛。この度は徳川家康公の降伏勧告を受け、苟(いやしく)も守城の韮山城を明け渡し、先代とご当主に降伏を勧めるため参りました。」
先代の氏政は天を仰いだ。
「その書は?」
氏政の隣りにいた氏照が尋ねた。
「三年前、小田原に忽然と現れた茶人、山上宗二から賜わりました。」
矢狭間(やざま)から落暉(らっき)の光刺す天守閣。
差し出された書を氏直が受け取った。
「これ則ち…山上宗二記。まさか我等一門にも伝わっているとは。」
氏直は頁をめくって感嘆した。
「宗二殿は、父上(氏康)と綱成公が世を去った後に、ここ小田原城に突如、現れました。」
「秀吉の元茶頭という、変わった人であった。」
「北条開闢(かいびゃく)百年、我等が後世に何も遺せなかった、などということは決してありません。」
「嗚呼…ッ!」
氏政は顔を両手で覆い、その場に崩れた。
城を出た氏直は、廓の外から城を見上げた。
「今すぐ離縁せよ。」
「人の生(い)くるや直(なほ)し。自分に正直であったら、それでいいのですよ。」
かつて小田原城は、祖父・氏康と綱成公の思い出のようにあった。
今や私の思い出のように在る。
こんなことになって初めて――
氏直は、弟の氏房を伴って滝川雄利(かつとし)の陣所に訪れた。
「私自身は責任を背(お)って切腹するが、城中の将兵の命は助けてやってほしい。」
氏直の嘆願は雄利によって直ちにわしに伝わり、わしは降伏を受け入れた。
「これ以上、通信使をここに留めておくのは限界です――」
対馬島主・宗義智家老の柳川調信が、義智に嘆願した。
わしが京を留守にしていたため、対馬で待機していた朝鮮通信使一行。
通信使より、彼ら――両班の世話を焼かねばならない義智らが限界だった。
氏規の介錯で氏政と氏照の首が落ちる瞬間、義智と通信使一行は対馬を発った。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-03-30 公開
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