豊臣秀吉くんの日記:第40回 宗義智、宣祖に拝謁す
天正一七年八月二五日
高麗(朝鮮)王・宣祖は仁政殿に現れ、景轍玄蘇・宗義智らを接見し、着席した。
「恐れながら使者を労(ねぎら)うことを請います。」
と札判(札曹判書,外務大臣)が申し上げて言う。
「申されたことに依れ。」
と宣祖が承諾した。札判はこの意を玄蘇・義智らに伝えれば、彼らは、
「千歳千歳」
と云々。
「客使(玄蘇・義智ら)が酒を賜る時、(承政院)注書(正七品)は従って入り、儀を失ってはいけない。また後れることなかれ。」
都承旨(王の秘書室長)趙仁後に伝えて曰く、
「儀礼に備える雨具は、これを脱げ。」
右承旨・李裕仁に伝えて曰く、
「宋義智にもまた、酒杯を勧めさせよ。」
左副都承旨・黄佑漢に伝えて曰く、
「前の作法により、客使を諭してのち、別に酒を賜れ。」
かくして酒宴、たけなわになった頃。
「ところで一昨年、全羅道珍島の朝鮮人・沙乙浦同の手引きにより、倭寇が(全羅道高興郡)損竹島を襲撃し、辺将李大源が殺される事件がありました。」
と趙仁後が口火を切った。
「はい。」
と義智は姿勢を正した。
「日本をして、沙乙浦同を送還していただいたのち、通信を許すことを議論したい。」
と国王は考えていることを率直に述べた。
「これは却って難しいことはありません。」
義智はその場で、家臣の柳川調信(しげのぶ)に沙乙浦同送還を指示した。
「北条氏規(うじのり)は京を立ったか。」
先日、関東の王・氏直の名代・氏規がここ京・聚楽第にてわしと接見した。
「ははっ。直ちに帰国し、ご当主氏直殿に復命(結果報告)すると聞き及んでいます。」
と浅野長吉(長政)は答えた。
「問題は、いまだ実権を握る氏直が父――氏政じゃ。」
「上野(こうづけ)の沼田領が真田昌幸から北条領に帰属すれば氏政殿を上洛させ、殿下の臣下として参上することを約束されました。」
「氏規が、じゃな。」
「氏規殿の兄が氏政殿ですから、必ずや想いは通じるでしょう。」
「どーだか。」
うじうじするのは名前だけにしてもらいたい。
小田原の蒲鉾をつまみに、酒を飲んだ。
この時、渡海した宗義智が酒杯と一緒に、高麗王のつまらぬ条件まで飲まされているなど露知らず――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2021-11-29 公開
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