藤原惺窩くんの日記:第27回 志学
慶長三年六月五日
私は幼い頃に仏門に入り、一八の時に父・冷泉為純の戦死をきっかけに、京の相国寺普広院住職の叔父を頼って上洛。
相国寺は禅寺だが、何故か儒学隆盛で私はここで漢学を学ぶこととなった。
いまだ喪は明けず、初めから興味があったわけではない。生まれた時から、否、生まれるずっと前から戦(いくさ)、戦。戦のない世など思いもよらない。
そんな自分にも嫌気がしたし、侍になりたいとも思わなかったが、かと言って学問をしたところで何になるんだろうと厭世的であった。
そんな年の暮れ。座禅に身が入っていないと、師僧に命じられ境内を雑巾がけしている時、襖から聞こえてきたのは――
「瞻彼淇奥(かのきいくをみれば)緑竹猗猗(りょくちくいいたり)
有匪君子(ひたるあるくんしは)
如切如磋(せっするがごとく さするがごとく)如琢如磨(たくするがごとく まするがごとく)
瑟兮僩兮(しったり かんたり)赫兮咺兮(かくたり けんたり)
有匪君子(ひたるあるくんしは)終(ついに)――」
不可諼兮(わするべからず)。
己の手を止め、聞き入っていた。
図(はか)らざりき。
詩とはこんなに美しいものだったろうか。
「お待ちください。」
待ち伏せして私は、講義から出て来た一人の学侶を呼び止めた。
「詩経・淇奥(きいく)を諳んじた方はどなたですか。」
「西笑承兌(さいしょう しょうたい)と申していた。」
「他寺の僧ですか。」
「然り。詩を能(よ)くする者在りと聞くに及び、僧録(そうろく/禅宗首位)が試しに本日、当寺に招いたそうだ。」
「雅言(がげん/原文通り正読)されたように、外より聞こえました。」
「化け物だよ。」
「え。」
「詩経以外にも漢代の楽府(がふ)、文選(もんぜん)…こちらが何を尋ねても何も見ずに詩を諳んじては、注釈された。」
目が覚める思いだった。
このままではいけない。
終不可諼兮(ついにわするべからず)。
西笑承兌――
のちに相国寺に入った承兌は僧録となって、今は太閤の側に座して、朝鮮出兵について助言している。
のちに相国寺を去った私は、変わらず学問を続けるも、いまだあの時の承兌を超えることができない。
「化け物だよ。」
だけど私は幸運にも間もなく出会う。
博士・姜沆(カンハン)という誠の化け物に――
カテゴリ:藤原惺窩くんの日記 | 2021-12-30 公開
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