藤原惺窩くんの日記:第13回 西笑承兌
7月12日
鬼界ヶ島(きかいがしま)から約一年ぶりに私は、日本本土に帰って来た。
本来なら真っ先に但馬(兵庫県北部)竹田城主の赤松広通様に逢って、明に入国することが失敗したこと、然しながら私自身は無事であることをご報告すべきであった。
広通様が旅費を工面してくれたのであり、誰よりも私の身の上を案じてくれているであろうから。
なのに私は竹田城には赴かず、鬼界ヶ島から帰って来て一か月余り、京の相国寺で一人、書物を読んでいた。ここは私が漢学を学び育った場所である。
覚悟はしていたけれど、私が本土に戻って来たのと前後して、この国は性懲りもなく再び朝鮮へ侵攻した。こんなことが可能なのは、この国の人々が権力に逆らっても無駄なことだからと、誰も何も抗議しないからだ。
私はこの国を変えようと思って明へ行こうとしたのだけれど、その想いは天に届かなかった。
「これは蕣首座(しゅんしゅそ:惺窩のこと)。」
と西笑承兌(さいしょう-しょうたい)が相国寺で本を読んでいる私に声をかけた。彼は鹿苑僧録(ろくおんーそうろく)すなわち禅宗相国寺派で最も高い地位にある禅僧だ。
「お久しぶりでございます。」
「明への遊学を企図したとか。」
私は答えなかった。

西笑承兌
「まさか我が寺の禅僧から国賊が出るとは、そんなことはありますまい。」
西笑承兌は薄っすらと笑みを浮かべた。彼は僧録であると共に太閤の側近、すなわち朝鮮役の参謀でもあった。
国賊――
本を閉じ寺の外に出ると、真夏の太陽が私を照り付けた。
広通様――
一度失敗したくらいで簡単に諦めて、どの面下げてあなた様に逢えましょう。この国に絶望し、自分にも絶望していること。確かに私は国賊に違いなかった。
カテゴリ:藤原惺窩くんの日記 | 2017-07-12 公開
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