藤堂高虎くんの日記:第9回 不思議

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藤堂高虎戦国28年10月17日

それまで私は、水軍とは無縁の世界に生きていた。

一年半前まで、太閤の弟・秀長様の側近だった。

秀長様は、兄・太閤の朝鮮出兵に強く反対していたが五一歳の若さで閉眼。

秀長様の旧領は、養子の秀保様が譲り受けたが、その中に紀伊国の海賊衆があった。

文禄の役が始まると、一四歳の秀保様の名代として私は、紀伊国の海賊衆を率いて朝鮮へ渡海。巨済島・玉浦に停泊している時に、全羅左水使・李舜臣率いる朝鮮水軍に撃破された。

玉浦海戦から半月後の泗川海戦では、初お披露目されためくら船(亀甲船)により、日本水軍はまたも李舜臣に完敗。

そんなまさか。見兼ねた太閤は村上水軍の雄・来島兄弟を新たに投入。これも唐浦で敗退すると、今度は脇坂安治・九鬼嘉隆・加藤嘉明やらを投入したが結果は全て同じだった。

太閤と日本水軍は、前のめりになり過ぎてたと思う。人力に頼り過ぎというか。

私にできることは初めから、他力本願=阿弥陀の本願に甘えて念仏を唱えることだけ。ふざけてるだろうか?

 

今日の夕方、釜山浦で、

李舜臣ってさあ、元々は水軍将じゃないんだってなあ。

と脇坂安治が私の後ろでチヂミを食べながら言った。

李舜臣「え?」

と私はチヂミを焼きながら振り返った。

李舜臣は全羅道のどこだかの村長だったが、女真を射殺した実力や人柄を買われて階級七段跳びで一年半前に左水使(サスサ)に就任だってよ。

それまで私は、水軍とは無縁の世界に生きていた。

左水使様も同じだったなんて。

私が求めていたのは、そんな縁だったのではないだろうか?

不思議がなければこの人生、きっと救われないんだ――

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