豊臣秀吉くんの日記:第86回 金睟(キムス)
天正一九年五月四日
「かれこれの利害は、論ずる暇がない。しこうして小をもって大に事(つかう)。」
昼講を閉めるにあたり、朝鮮国王・宣祖(そんじょ)が言った。
弘文館(経籍管理)・副堤学(プジェハク:正三品)の金睟(キム・ス)四五歳は、柳成龍の意を受けて、この日に夕講があると聞いた。奏聞がまさに明へ発せんことを聞き、
「私が代わって夕講に出よう。」
と金睟は、弘文館・校理(キョリ:正五位)・沈垈に言った。
「それはまたどうして…」
沈垈は驚いて、抱えたいた本を思わず落とした。
「私から王に奏聞べからずことを申し上げる。」
先例、弘文館入直の官吏は王の目前において、講義する本の解釈を吟味し、文意を定める。しかし弘文館の官といえども、経筵(けいえん:王の教育)の位に斉(ひと)しい者でなければ、あえて次を奪えない。
「おまえはついて来い!」
「は、はい!」
同館・修撰(スチャン:正六品)の朴東賢は、沈垈が落とした本を拾って後を追いかけた。
王の夕議。
「ともに言うべくしてこれと言わざれば人を失う、と。」
知経筵事(経筵の一職:正二品)・黄廷彧(ファン・ジョンウク)が言う。
「説教ですか。」
金睟は失笑した。
「まさに、孔子のお言葉である。」
と宣祖は言って、左承旨(チャスンジ:国王秘書官)・柳根(ユ・グン)を顧みた。
「承旨は奏聞をどう思うか。」
「大儀のあるところは伝えるべきですが、いちいち直奏すれば処しがたく、軽きに従って奏聞するのが宜しいでしょう。」
根は廷彧と師弟の事情あり。また柳成龍・金睟と親しく、その権力があるを見てこれに附く。
「経筵官はいかが。」
国王は、朴東賢を顧みて言った。
「先ほどの孔子のお言葉は、ともに言うべからずしてこれと言えば言(ことば)を失う、と続きます。君子は人も言も失うべきではありませんが、果たして議政(ウイジョ:首相と左右副首相)はどちらを取るか。」
「論語・衛霊公――」
金睟はその引用元・篇名を口にし、空しく上を見上げた。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2025-11-09 公開
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