第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第85回 蜂蠆(ほうたい)


豊臣秀吉天正一九年五月四日

朝鮮国王・宣祖が、宣政殿に御(ぎょ)す(お出ましになる)。

弘文館(経籍管理)の副堤学・金睟(キム・ス)が、資治通鑑綱目の東晋・元帝(司馬睿)の章を進講した。

知経筵(論議を司る役所の一職)を兼ねる兵曹判書(防衛大臣)・黄廷彧(ファン・ジョンウク)が言う。

我が国の儒生(儒者)は、文に巧みといえど、ただ文章の細部をもって事となすのみ。群書を博覧するに務めず。老荘等の書に至りては、これを見る者がもっとも少ない。ただ大量に抜粋するのみ。

我々の先輩は、老荘を取得しまた多くこれを用いました。どうして異端を恐れましょう。

金睟は鼻で笑った。

奏聞を止めるわけにはいかない。

宣祖は立ち上がった。

お待ちくだされ。

金睟が進み出て、王に告げる。

こうして廷彧と口論となった後、

こちらをご覧ください。

と金睟は言って、通信正使・黄允吉(ファン・ユンギル)が持ち帰った日本の書状を宣祖に差し出した。

 

秀吉と鶴松

在りし日の秀吉と鶴松

宣祖は閲覧し終えると、控えの者を入れてこれを見せた。

大司憲(検事総長)・尹斗寿(ユ・ドウス)は見終わると、首を下げて拝し進んで言った。

まさに天朝(明)に、我が国の通信の本末を述べるのが宜しいかと存じます。

秀吉、出入りの立ち振る舞いは少しも威儀がありません。

通信副使・金誠一(キム・ソンイル)が言った。

使臣に見られる日至っては、手で小児を抱えて動作常ならず。もってこれを観るに、ただの一狂暴の人。

通信従事官・許筬(ホソン)はその中をとって、やや允吉の言(ことば)を助けた。

すなわち、その書状の辞(ことば)は虚勢というべき。

誠一と親しい左議政(副首相)・柳成龍が言う。

福建と日本は甚だしく相遠からず。もしこれを奏して日本人の耳に落ちれば、言い訳はできません。

蜂蠆(ほうたい:蜂とサソリ)は小さいといえど毒あり。かれこれ共に利益がなく、ただ損害あるのみ。決して奏聞すべからず。

本日昼過ぎ、大坂城の最上階でわしは、鶴松を抱え天下を見下ろした。

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