第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第83回 宣祖、明へ倭情奏聞の当否を問う


豊臣秀吉天正一九年四月三日

朝鮮国王・宣祖(ソンジョ)は朝の講義に御(ぎょ)す。

諸臣がまさに礼を取って退こうとしたとき、宣祖は大司憲(検事総長)・尹斗寿(ユ・ドウス)に言った。

大臣及び備局(備辺司:国家安全保障会議)の長官諸臣と倭情を密議したい。

都憲(大司憲)は考えがあるという。天朝(明朝)に奏聞する当否を議(は)かれ。

大臣以下、皆これを難しいとした。斗寿が言う。

事は上国(じょうこく/大明)に係わり、国家にとって甚だ重く、もはや隠そうとも隠しきれません。殿下、直ちに上聞すべきにございます。

領議政(宰相)李山海(イ・サンヘ)が反論する。

正(まさ)に恐れるは奏聞の後、天朝は返って我国が倭国と通信をなすをもって罪とすること。

兵曹判書(軍務長官)・黄廷彧(ファンジョンウク)が言う。

私は斗寿の言(ことば)に与(くみ)しますが、しかし他は山海の言のごとし。決してやみません。後日更に議(は)かりましょう。

宣祖はこれを是となし、大臣もまたあえて異論をはさまなかった。

 

福建出身で島津氏の医者となっていた許儀後。

わしが明に入寇せんことを聞くに及び、これを潜(ひそか)に親しい所の(薩摩に留在する明人)朱均旺に話した。

朱均旺は妻子のいる許儀後に代わって国外脱出を試み、浙省(浙江省)に至って告げた。

 

尹斗寿

尹斗寿

日を改めて宣祖は諸臣を招き、尋ねた。

李山海曰く

先日申しましたとおり奏聞はただ、皇朝が我が国と倭奴との私通を罪とする恐れがあります。

左議政(副首相)・柳成龍曰く

事により、隣国と往来するのは国の免れざる所。事あらば即ちに陳奏するのに何ぞ義を害(そこな)いましょう。

但(た)だ熟慮なしにこれを行うのみならば、手抜かりというべき。

尹斗寿曰く

君臣父子の間は、必ず真っすぐ申上げ隠すべきことなし。然るのち、後日の責めもなし。他に策はありません。

宣祖曰く、

都憲(斗寿)は思慮有り。予はこれを許す。

こうしてついに倭情を上奏するため、聖節使(皇帝の誕生日を祝す使節)金応南の行が出発した。

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