第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第79回 朝鮮通信使・允吉と誠一の激論


豊臣秀吉天正一九年三月一日

以為(おも)へらく必ず兵禍(へいか)有らんと。誠か。

朝鮮国王・宣祖(ソンジョ)四〇歳は、日本から帰国した通信使を内々に引見して問う。

間違えございません。

通信正使・黄允吉(ファン・ユンギル)五六歳は答えた。

恐れながら允吉の言(ことば)は過っております。

同副使・金誠一(キム・ソンイル)五四歳が反論した。

そうなのか。

私は即ちそのような情勢を見ておりません。允吉は大げさに申し上げ、人心を煽(あお)っています。

はああ!?

允吉は唖然(あぜん)とした。

御前ですぞ。

誠一は正面に目を向けたまま言った。

そなたこそ、使臣(ししん)を何と心得る!

王様、私どもが日本へ渡海している間に、右議政(ウイジョン:副首相) ・鄭澈(チョンチョル)が失脚されていたことに、私はそれこそ驚嘆いたしました。

当時、朝廷の実権を握っていた鄭澈は、同時に西人(ソイン)派の領袖。そのため同派允吉が通信正使、東人(トンイン)派の私が副使となりましたが、どうか正使の言(ことば)を退けていただきますよう…。

このころ高麗(朝鮮)の官人は、改革派の東人派と保守派の西人派に分かれ、官人はこの何れかに属した。…らしい。

王様! 世子(セジャ:世継ぎ)様の議をめぐって、鄭澈が王様のお怒りを買ったこと、私としても不本意で悔しく思います。しかし今、朝廷内の党派に何の関わりがありましょう。

通信使 黄允吉・金誠一

通信使 黄允吉・金誠一

然(しか)り。ついては秀吉の姿について申せ。

允吉曰く、

はっ。目光は光輝き、知恵と勇気の人に似たり。

誠一曰く、

その目は鼠のごとし、畏れるに足りませぬ。

 

どう思う?

宣祖は、宮殿の縁側で薄暮を望んだ。

憂患に生じて、安楽に死することを知るなり(孟子・告子章句下)、と言います。

側らの東人派の領袖・柳成龍(ユ・ソンリョン)五〇歳が畏まった。

則ち允吉の言を取るか。

わたくしは――

鄭澈失脚後、柳成龍は左議政(チャウイジョン:副首相)になっていた。

«

ランダムデイズ