豊臣秀吉くんの日記:第58回 大徳寺の朝鮮通信使
天正一八年八月五日
「これは蕣首座(しゅん-しゅそ)。」
対馬の宗義智は、京・大徳寺に現れた相国寺の僧に頭を下げた。
「初めてお目にかかります。」
蕣首座、則ち藤原惺窩(せいか)は頭を下げた。
「この度は朝鮮通信使に会いに来てくださり、恐悦至極にございます。」
義智は深々と頭を下げた。
「おやめください、お礼を申し上げるのはこちらの方です。」
「秀吉公、関東に御出陣されたため、通信使、いまだ拝謁叶わず、しびれを切らして帰国しまいか。私どもは気が気ではなかったのです。」
と、義智の傍らにいた対馬外交僧が言った。
「玄蘇(げんそ)…さまですね?」
「申し遅れました、景轍(けいてつ)玄蘇と申します。」
「朝鮮の皆々様、玄蘇さまがお作りになる詩を称賛されおりましたよ。」
「これはまた、酒の催促かな?」
玄蘇が通信使の居る堂に目を見やると、惺窩と義智が笑った。
「蕣首座は彼らとどのようなお話を…」
「他愛もないことです。許筬(きょしん)…」
「ホソン(許筬)、ですね。」
「成程、朝鮮国使と私とは筆談にて交遊しました。私は今、『荘子』達生篇の、枯木の如く無心に立つから、柴立子(さいりつし)と号しています。この号の意義についてホソンさまが、自らの意見を述べた文章を書いてくださいました。」
「……」
「義智さま、しっかり。」
「今のは日本語でしたか。」
その場は朗らかな笑いに包まれた。
「この、”公はこれ精神、腹に満つ。太(はなはだ)だ聡明なり” は『金史』ですか。」
玄蘇は、惺窩からホソンの文章とは別の漢語を見て言った。
「はい、これは人相見に見てもらった際に頂いたもの。私は “自ら聡明なる、と文意は理解しましたが、太の字は如何(いかが)” と尋ねましたら、人相見は “これはあなたの癖(へき)” と。私は笑って言いませんでした。」
「それはそれは、」
玄蘇は再び笑った。
「私には何が面白いのかわかりませんが、彼らとの楽しい交遊、何よりです。」
「一つ疑問が。」
「何でしょう。」
「秀吉公は何故、朝鮮国使を請い願われたのですか。」
「それは――」
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-06-29 公開
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