第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第58回 大徳寺の朝鮮通信使


豊臣秀吉天正一八年八月五日

これは蕣首座(しゅん-しゅそ)。

対馬の宗義智は、京・大徳寺に現れた相国寺の僧に頭を下げた。

初めてお目にかかります。

蕣首座、則ち藤原惺窩(せいか)は頭を下げた。

この度は朝鮮通信使に会いに来てくださり、恐悦至極にございます。

義智は深々と頭を下げた。

おやめください、お礼を申し上げるのはこちらの方です。

秀吉公、関東に御出陣されたため、通信使、いまだ拝謁叶わず、しびれを切らして帰国しまいか。私どもは気が気ではなかったのです。

と、義智の傍らにいた対馬外交僧が言った。

玄蘇(げんそ)…さまですね?

申し遅れました、景轍(けいてつ)玄蘇と申します。

朝鮮の皆々様、玄蘇さまがお作りになる詩を称賛されおりましたよ。

これはまた、酒の催促かな?

玄蘇が通信使の居る堂に目を見やると、惺窩と義智が笑った。

蕣首座は彼らとどのようなお話を…

他愛もないことです。許筬(きょしん)…

ホソン(許筬)、ですね。

成程、朝鮮国使と私とは筆談にて交遊しました。私は今、『荘子』達生篇の、枯木の如く無心に立つから、柴立子(さいりつし)と号しています。この号の意義についてホソンさまが、自らの意見を述べた文章を書いてくださいました。

豊臣秀吉

その頃のわし(秀吉)

……

義智さま、しっかり。

今のは日本語でしたか。

その場は朗らかな笑いに包まれた。

この、”公はこれ精神、腹に満つ。太(はなはだ)だ聡明なり” は『金史』ですか。

玄蘇は、惺窩からホソンの文章とは別の漢語を見て言った。

はい、これは人相見に見てもらった際に頂いたもの。私は “自ら聡明なる、と文意は理解しましたが、太の字は如何(いかが)” と尋ねましたら、人相見は “これはあなたの癖(へき)” と。私は笑って言いませんでした。

それはそれは、

玄蘇は再び笑った。

私には何が面白いのかわかりませんが、彼らとの楽しい交遊、何よりです。

一つ疑問が。

何でしょう。

秀吉公は何故、朝鮮国使を請い願われたのですか。

それは――

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