第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第78回 利休時世


豊臣秀吉天正一九年三月一日

二月二五日、大徳寺山門利休の木像は、京の葭屋町(よしやまち)にある利休聚楽屋敷の大門戻橋に磔にされた。

堺に蟄居中の利休は、狂歌にも詠んだ菅原道真の祥月命日に、辞世をしたためた。

人世(じんせい)七十 力□希(りきいき)

咄(とつ) 吾(わが)這(この)宝剣祖(そ)仏(ぶつ)

共殺(ともにころす)

堤(ひつさぐ)ル我(わが)得具足(えぐそく)の

一(ひとつ)太刀今此(この)時ぞ

天になげうつ

天正十九仲春

廿五日利休宗易居士

(花押)

 

翌日、利休は呼び出しを受けて葭屋町の聚楽屋敷に入るも、その屋敷は上杉景勝の軍勢三〇〇〇に警護されていた。

二七日、利休が切腹されられるという噂が洛中に流れた。

京に留まっていた伊達政宗は、命の恩人の窮地に愕然とした。

利休追放の報は南奥の大名に届いた。

会津若松の忠三(蒲生氏郷)にとっては茶湯の師匠であり、二本松在陣の浅弾(浅野長吉)は利休と極めて親しかった。

今更遅すぎる。

まだできることがある。

それぞれの地で三人、申し合わせたように祈った。

 

二八日、この日は大雨が降り、雷鳴、雹(ひょう)といった大荒れの天気だった。

人生七十。

ゴロゴロ、ピカッ、ドドーン!

利休茶湯の支度をした。

吾れこの宝剣()で、師・紹鴎(じょうおう)や大徳寺と共に殺す。

三人の検使を迎え入れ、一服一会。

我が得意の武具(茶道具)一つ、

まさに一期一会。利休朝の茶湯ののち、

太刀(茶道)を引っ提げて、今この時ぞ。

三検使の一人、蒔田淡路守の介錯で腹を切った。

天になげうつ――

 

銘 園城寺_花入

銘 園城寺@利休作花入

ゴロゴロ、ピカーッ、ドドドーン!!

聚楽第から利休の最後の声を聞いた。

 

今更遅すぎる。

まだできることがある。

生きて戻って来たならば――

 

通信正使・黄允吉(ファン・ユンギル)

同副使・金誠一(キム・ソンイル)

謹んで復命(ふくめい:報告)申し上げます。

朝鮮国王・宣祖(ソンジョ)は、一年ぶりに日本より帰って来た通信使を引見した。

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