豊臣秀吉くんの日記:第77回 禁中茶会
天正一九年二月二一日
「禁中茶会など前代未聞のこと。」
大坂城にて、千宗易は耳を疑った。
「去年冬から企んでおった。」
「同じ数寄者(すきもの)として、参りました。」
わしの言葉に宗易は平服した。
「相伴(しょうばん)してくれるな?」
「まさか。先月(天正一三年七月)殿下は関白に昇られましたが、私は一介の茶人に過ぎません。」
宗易は笑って取り合わなかった。
「堺まで罷り下るべし。」
大徳寺山門の木像の一件で利休は、わしの上使・富田左近と柘植左京亮から堺の屋敷に「閉門」を言い渡された。
利休は早速、小棗(こなつめ:抹茶入れ)一つと茶半袋(はんたい)を左右の手に持って、葭屋町(よしやまち)の聚楽屋敷を出た。乗物に乗ろうとしたとき、硯と紙を取り寄せて書いた。
利休めはとかく果報のものぞかし 菅丞相(菅原道真)になるとおもへば
淀の舟着場に着き、河畔に目をやれば、羽与(細川忠興)と古織(古田織部)が立っていた。
驚いた瞬間に舟は動きだし、淀川を下り、その夜のうちに利休は堺の自宅に帰った。
利休が堺に謹慎して八日。
利休が謝罪と助命嘆願すれば赦(ゆる)すつもりでいる。
縦(たと)え予(われ)往(ゆ)かずとも、子(し:あなた)何ぞ音(おん:便り)をよこさん。
つまらぬことを思い出す、その前に――
天正一三年一〇月七日、禁中茶会。
小御所の御菊見の間に正親町(おおぎまち)天皇および皇族ら六人を迎え、わし自ら茶を立てた。
端の座敷では、公卿や門跡らに、宗易こと「利休居士」(こじ)の点前で台子の茶湯が行われた。
縦え予往かずとも、子何ぞ音をよこさん。
取るに足らない過去が蘇(よみがえ)る、その前に――
禁中茶会を終え、乗物に乗り、扉が閉められた瞬間、
「関白殿下――」
外から声がした。
「朝から参内したというに、既に夕じゃ。」
格子窓からわしは応えた。
「一世の面目、これに過ぎるものございませんぬ。」
「大儀であった。」
「このたび正親町天皇より賜りました利休居士の号は、殿下が私のために奏請(そうせい)され――」
「出せ。」
利休の前を通り過ぎゆく乗物の中で、わしは破顔一笑した。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2025-01-30 公開
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