小西行長くんの日記:第55回 内藤如安、自分の為に北京へ行く
月4月10日
文禄の役が始まって二年余り。
一時停戦状態の今、私は和議を成立させる為、明の外交家・沈惟敬(しんいけい)と共に、太閤秀吉のうかがい知らぬ所で明皇帝に誼(よしみ)を通じる文書・納款表(のうかんひょう)を作成した。
そして釜山日本本営において私は側近の内藤如安に、
「おまえが日本の使者としてこの納款表を携えて北京に赴き、皇帝に献上するのだ。」
と命じた。
「皇帝と太閤を股に掛けて騙すなど、わ、私にはできませぬ!」
と如安は驚愕の余り腰を抜かした。
「まさか断られるとは思わなかったアルネ!」
と沈惟敬は拍子抜けした。
「フツー断るでしょ!」
「それでは再び明・朝鮮連合軍と戦争するか?」
「それは…」
「私は今日まで、やれ太閤の為だ、やれ日本国の為だと、周りを尊重して常に自分を犠牲にしてきた。
そんな”いい人”であった結果、小西軍18,700人のうち12,074人がこの異国の地で死んでしまった。実に半数以上だ。
自分の命より大切なものを失うくらいなら、太閤に逆らって改易に処せられた方が全然マシだった。」
「殿…」
「侍は真面目過ぎ!ちゅこくの人、もっとテキトーで遊び好き。だから漢字・暦・紙などの偉大な発明、生まれたアルネ。」
「でしょうね。朝鮮軍の救援に来たっていうのに、日本軍と真面目に戦っているとは思えないし?」
と如安は溜息をつき、私の手から納款表を取った。
「如安!」
「勘違いなさらないでください。命令されたから行くのではなく、自分の為に北京へ行って参ります。」
「他人の為ではなく、自分の為に生きる方が勇気がいるぞ?」
「ナヌンケンチャナ(私は大丈夫)。挫けそうになったらアゴスチーニョ(行長の教名)を反面教師にします。」
と如安が挑戦的な笑みを浮かべると、沈惟敬と私は笑った。
カテゴリ:小西行長くんの日記 | 2016-04-12 公開
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