毛利秀元くんの日記:第4回 太閤の厳命、慟哭、沙也可


毛利秀元戦国28年4月5日

僕はそう、朝鮮へ遊びに来たのではなかった。

日本軍再出兵の際、我々は太閤様より厳命を受けていた。

ことごとく、かの国人(朝鮮人)を殺し、かの国(朝鮮)を空地となさん。

――と。

僕・秀元を総帥としてソウルを目指して釜山から北上していた右軍は、太閤様の厳命に忠実に従うべく、この地で略奪・放火・斬り捨て等の残虐な行為を繰り返していた。

太閤様の期待に応えられねば、文禄の役の大友義統(よしむね)のように改易に処せられる。大人になるっていうのは、きっと、要領よく生きることなんだ。

だけどそれって僕らしいだろうか?

敵だ!

慶尚道・昌原に到着した時、突然、朝鮮軍の襲撃に合った。敵の数は四〇〇余。我が軍一万余は直ちに応戦した。

一人の敵将が馬上から矢を放ち、朝鮮の人々の首に縄をかけていた日本の諸将を次々と倒していった。

縄を解かれた人々は朝鮮軍に助けられながら逃げてゆき、この敵将は馬を走らせ、今度は僕に向かって矢を放った。

僕はその矢を軍配団扇で振り切った。

沙也可

沙也可

貴様が若き司令官・毛利秀元か。

敵将の言葉は日本語だった。

「貴様は?」

僉知中枢府事・沙也可(さやか)。捕らわれた我が国の人々の救出に仕った。

「貴様が文禄の役の時、自ら朝鮮軍に投降した清正殿の元家臣、岡本越後こと沙也可――。」

やりきれないのだろう。大丈夫か?

「は?」

我々朝鮮人は大丈夫だ。野望には野望をもって対抗するまで。ハッ!

と沙也可は馬の腹を蹴って、僕の前を駆け抜けていった。

僕は何故、敵将に心配されているのだろう?

こんな惨めなことがあるだろうか?

いっそ、罵倒してくれたらどんなに気が楽だったか。

僕は地を撃って、慟哭した。

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