李舜臣くんの日記:第22回 秀吉と私の関係


李舜臣戦国30年10月22日

秀吉とやらは、明国の通り道となる朝鮮に国王の参内を要求。余りにしつこいので去年、朝廷は秀吉の天下統一の祝賀という名目で通信使を派遣。

通信使は来日したものの、秀吉は合戦中で(小田原の戦い)、三ヶ月以上待たされて京の聚楽第なる所でようやく秀吉と謁見を果たした。

その席で、秀吉に抱かれた小児・鶴松が小便を漏らして秀吉が笑った。

それはそうと帰国した通信正使・黄允吉は、御前会議において「兵乱が必ず起きる」と断言。一方の副使・金誠一は「秀吉の出兵はない」と正反対のことを報告した。

左議政(副首相)柳成龍様は、海岸防衛の任を担う全羅左水使に私を推挙した。

鶴松は死去して、秀吉は関白職を甥の秀次に譲り、太閤と称した。

日本の侵攻があるかないか、わからぬまま左水使として海岸防衛を固めて一年。曇りなのに雨が降らない中、私は的に向けて矢を射った。

ああ、残念。

と順天府使(プサ)権俊(クォン・ジュン)が、的を外した私の矢を見て声を上げた。

李舜臣

李舜臣

左水使様は四八歳。もう、お年だから。

と蛇渡鎮僉使(チョムサ)金浣(キム・ワン)が笑って、私に続いて矢を引いた。矢は的の中心に貫いた。

「お見事!僉使は四七歳。お若いから。」

と私が称えると、周りがどっと沸いた。

仲間たちに出逢い、時に激しくケンカもして、切磋琢磨でここまできた。

それもこれも全ては秀吉のお陰?冗談じゃないよ。

雨が降らないまま、晴れてくればいいのに。

私は苦笑した。

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