1月4日 暮れに全羅左水営から脱走兵が出た。脱走理由は、病の母を心配して、辛い訓練に耐えかねて、満足な食事が出されないこと、様々である。 脱走兵は直ちに捉えて、この者たちに杖罰を与えた。徴兵を敷かねばならぬこと、辛い訓練… [続きを読む]
10月22日 秀吉とやらは、明国の通り道となる朝鮮に国王の参内を要求。余りにしつこいので去年、朝廷は秀吉の天下統一の祝賀という名目で通信使を派遣。 通信使は来日したものの、秀吉は合戦中で(小田原の戦い)、三ヶ月以上待たさ… [続きを読む]
8月17日 来るべき日本軍侵攻に対し、東海岸の慶尚右水営と連携して、我が国の民や兵の被害を最小にとどめたい。 先日、私自ら慶尚右水営を訪ね、右水使・元均(ウォン・ギュン)に我が左水営との連携を持ちかけたが断られた。しかし… [続きを読む]
6月22日 来るべき日本軍侵攻に備え全羅左水営の兵士を鍛え直し、各浦の防備を固め、亀甲船を造船。次に行うべきは―― 私は慶尚右水営に赴き、軍官の案内で通された部屋に入った。右水使(ウスサ)元均(ウォン・ギュン)は、妓生を… [続きを読む]
4月3日 全羅左水営(全羅道の海岸防衛施設)配下の順天府・防踏鎮・蛇渡鎮・鹿島鎮など各官浦の城壁や濠の造りを固め、多くの船を新造。 また、官浦対抗で矢の命中率や船の速さを競った。 昨日、船に乗り、亀甲船の地弦字砲を試射。… [続きを読む]
1月3日 年明け突然、慶尚右水使・元均(ウォン・ギュン)が、ここ全羅左水営を訪れることになった。昨年末、私から新年のご挨拶に向かうと連絡したのに。 私は配下の順天府使・権俊(クォン・ジュン)に急ぎ酒席を設けるよう命じた。… [続きを読む]
11月13日 朝鮮水軍の兵船の漕ぎ手は、卑しい身分の者たちが多く、兵士たちから差別を受けていた。 手をまめだらけにして、漕いでも漕いでも、彼らの身分が上がらない―― 日本軍朝鮮侵攻の兆しがあるというに、今日も訓練をサボり… [続きを読む]
8月1日 日本軍侵攻の兆(きざ)しがあるといえど、泰平の世が長く続き、みな安きに流れていた。 左水使(チャスサ・水軍司令官)とは、鬼になることなのだろうか? 先月、全羅左水営管轄下にある官営・蛇渡鎮の戦備の不備により、担… [続きを読む]
3月10日 朝鮮南海岸の防衛施設・全羅左水営に赴任した当初、私は不安だった。 国王より階級七段跳びで全羅左水使(チョルラチャスサ)に任命されて、こんなに偉くなってしまったら、きっと媚びを売られる。きっと貢物(みつぎもの)… [続きを読む]
1月10日 セヘポンマニパドゥセヨ!(明けましておめでとうございます!) 正月遊びそびれたのなら、韓国では旧正月にお祝いするので1月28日に全羅左水営で是非やり直してください。朝鮮料理をたくさんご馳走しますよ? 但し、く… [続きを読む]
12月1日 アンニョンハセヨ!戦国デイズは本日、サイト開設から10年目を迎えることができました。 これもあなた様のお蔭です。カムサハムニダ、アリガトウゴジャイマス。 然しながら私、デイズで日記を書くようになって一年ほどの… [続きを読む]
11月1日 私は王命により、全羅道の県監(村長)から全羅左水営(海岸防衛の軍事施設)の最高司令官・全羅左水使(チョルラチャスサ)に任命された。 それにしても左水営に最初の一歩踏み入れた、あの日のことは忘れられない。 ザバ… [続きを読む]
9月27日 二年前。 全羅道・井邑の県監(村長)だった私は、井邑に侵入した倭寇三人を捕らえた。 これが縁で彼らに織田信長のことを教えてもらったのを皮切りに、そのあとも日本のことをいろいろと教えてもらった。 ――今から四百… [続きを読む]
8月22日 全羅左水営の水使(水軍司令官)に任命される二年前。 私は、全羅道・井邑の県監(村長)であった。 その折、私の昔からの友人で左議政(副首相)の柳成龍(ユ・ソンリョン)様から突然、私の元にこんな手紙が届いた。 「… [続きを読む]
7月15日 私の率いる朝鮮水軍は、手勢のみで出撃した脇坂安治を閑山島で撃破。 そのあと九鬼嘉隆と加藤嘉明が閑山島に駆けつけたが、劣勢を知ると加徳島の対岸の安骨浦(アンゴルポ)に引き揚げた。 私はただちに朝鮮水軍を率いて安… [続きを読む]
6月6日 朝鮮水軍に連敗している日本水軍の救世主として脇坂安治が巨済島へ出撃。 私はおとり船を出して脇坂隊を閑山島(ハンザンド)沖まで誘い出し、島影に待機していた艦隊で撃破した。 そのあと九鬼嘉隆と加藤嘉明が閑山島に駆け… [続きを読む]
4月24日 脇坂安治率いる日本水軍が巨済島の見乃梁(キョンネリヤン)の狭所に停泊。 私が偵察船を見乃梁付近へ出すと、日本水軍は鉄砲を撃ちながら追跡を開始した。 敵はいつだって、私達よりも遥かに金も人も武器も充実している。… [続きを読む]
3月13日 壬辰倭乱(文禄の役)が始まって二か月余り。 今度の八つ目の海戦相手は、太閤秀吉の秘蔵っ子・脇坂安治チャングン(将軍)だ。 迎え撃つ私が率いる南海岸の朝鮮水軍は、この度も元均(ウォン・ギュン)率いる東海岸の朝鮮… [続きを読む]
1月15日 日本軍が朝鮮に侵攻してから1か月半。 水軍司令官の私は朝鮮水軍を率いて、玉浦、合浦、赤珍浦で日本水軍を撃破。 その後の泗川(サチョン)海戦では、四方八方から大砲を放つことができる亀甲船を日本水軍に初披露して、… [続きを読む]
1月1日 セヘ ポンマニ パドゥセヨ(明けましておめでとうございます。) セヘエド コンガングァ ヘンボギ ハムケ ハシギルピムニダ(新年も健康と幸せが共にあることを祈ります。) まさか朝鮮語で新年の挨拶を聴かされるとは… [続きを読む]
李舜臣くんの日記:第3回 戦国デイズ祝9周年-East Asia
12月1日 アンニョンハセヨ!(こんにちは!) 戦国デイズはお蔭さまで本日、サイト開設から9年目を迎えることができました。 カムサハムニダ!(ありがとうございます!) ミニ企画アンケート・戦国デイズを読み始めた時期は? … [続きを読む]
11月14日 アンニョンハセヨ!(こんにちは!) オレンマネ マンナソ パンガップスムニダ(またお逢いできて嬉しいです。) 第一軍の小西行長チャングン(将軍)がプサンに上陸し、破竹の勢いで北上して24日目。 私は朝鮮水軍… [続きを読む]
李舜臣くんの日記:第1回 海の上で日記を書いてもいいだろうか?
文禄元年(宣祖二五)五月七日 アンニョンハセヨ(こんにちは!) チョウム ベッケスムニダ(初めまして。) チョヌン イ・スンシン イラゴハムニダ(私はイ・スンシンと言います。) パンガップスムニダ(あなたにお逢いできて嬉… [続きを読む]