李舜臣くんの日記:第23回 非常な男


李舜臣戦国31年1月4日

暮れに全羅左水営から脱走兵が出た。脱走理由は、病の母を心配して、辛い訓練に耐えかねて、満足な食事が出されないこと、様々である。

脱走兵は直ちに捉えて、この者たちに杖罰を与えた。徴兵を敷かねばならぬこと、辛い訓練を強いていること、満足な食事を与えてやれぬこと。私は脱走兵に申し渡した。

「次、同じ罪を犯した場合は死罪である。」

 

新年の挨拶に左水営の東にある慶尚右水営に赴くと、ここの司令官である慶尚右水使・元均は案の定、正月早々側近たちと飲んだくれていた。

「日本軍侵攻前に、右水営と海上で軍事演習をしたく存じます。」

またその話か。

元均は妓生を両脇に侍らせ、酒を仰いだ。

左水営から脱走兵が絶えぬとのこと。我等との訓練より、左水営の兵の統率が先では?

と元均配下の司令官が言うと、場がどっと沸いた。

「そうかもしれません。」

と私が言うと、場は一旦静まり返った。

「自分でも左水使として何をしたら、どうしたら兵を、民を誰一人戦争で失わずに済むのか暗中模索なのです。どうかこの未熟な私に手をお貸しいただけませんか。」

私は頭を下げた。

おまえが全羅左水使の職を辞したら考えてやる。

「日本軍を倒す前に職を辞すことは王命に背くこと。できませぬ。」

新年早々、おまえは何様なんだ!

元均は立ち上がり、私の顔に盃の酒を浴びせた。

豊臣秀吉

豊臣秀吉と臣下たち

この時、日本では秀吉がついに

朝鮮を経て明国へ出兵せよ。

と諸大名に命を下した。

 

「日を改めまた来ます。」

顔に浴びせられた酒を腕でぬぐい、足元にのびる影を踏みつけ、宴を後にした。

首を縦に振っていただくまで何度でも――

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