第二部 侍韓流ドラマ

戦国デイズ – 武将たちの日記

豊臣秀吉くんの日記:第75回 命さえも危うき時


豊臣秀吉天正一九年二月五日

利休さま!

利休は、上洛した伊達政宗を洛北白河に迎えた。

四畳半には客さ二人、壱畳半には客さ三人とは、誠でがすか!?

政宗は駆け寄るなり、唐突に問うた。

命さえも危うき時に、茶を習おうとは面白き者――

え。

小田原参陣の際に秀吉公が、政宗公の対面を許されたときに申された言(ことば)です。

北風が雲を吹き、蒼天一色の下。利休は、昨年のことがまざまざと蘇った。

まんず、あの時は茶心に救われましだ。

こたびは如何。

この度の太閤殿下との対面石田方と反石田方の命運さ、かがっていること承知しでおります。

さよう。政宗公が罰せられるようなことあらば、浅野長吉も危うい。

だども唯(ただ)一人、利休様は太閤殿下に対し言上できる、と。

京の妙喜庵・待庵(たいあん)の二畳茶室は、私の独創などと言われておりますが、朝鮮の陶土(とうど)の家に求めて考案しました。そのような我が茶に秀吉公はもう、ついてゆけなくなっております。

それこそ四畳半には客二人、壱畳半には客三人など…

老人だからしがた――ハッ!

政宗は慌てて口を塞いだ。

大丈夫ですよ。私の方が殿下より一回り以上、上ですから。

まさか、その様には全く…。と、またも戯れを!

利休は思わず噴き出した。

笑ったのはいつぶりでしょうや。

命さえも危うき時に。

誠の数寄(すき)に至る――

 

鶴松

鶴松

「おちゅる!」

翌朝、大坂城にあって、子の鶴松は床に伏していた。

「いつから…」

わしはその場に、体の力が抜けてゆくように坐した。

数か月前より少しずつ…。申し訳ござりませぬ!

妻であり母の淀が顔を袖で覆い泣いた。

小一郎が死んだばかりというに、まさか……。大仏は?!」

先日、毛利輝元公よりご命令通り、材木一三〇〇本が届いたと大仏本願(木喰応其(もくじきおうご))より聞いております。

と石田三成が答えた。

「以て急ぎ推せ。おちゅるが、わしのおちゅるが――!!」

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