豊臣秀吉くんの日記:第75回 命さえも危うき時
天正一九年二月五日
「利休さま!」
利休は、上洛した伊達政宗を洛北白河に迎えた。
「四畳半には客さ二人、壱畳半には客さ三人とは、誠でがすか!?」
政宗は駆け寄るなり、唐突に問うた。
「命さえも危うき時に、茶を習おうとは面白き者――」
「え。」
「小田原参陣の際に秀吉公が、政宗公の対面を許されたときに申された言(ことば)です。」
北風が雲を吹き、蒼天一色の下。利休は、昨年のことがまざまざと蘇った。
「まんず、あの時は茶心に救われましだ。」
「こたびは如何。」
「この度の太閤殿下との対面、石田方と反石田方の命運さ、かがっていること承知しでおります。」
「さよう。政宗公が罰せられるようなことあらば、浅野長吉も危うい。」
「だども唯(ただ)一人、利休様は太閤殿下に対し言上できる、と。」
「京の妙喜庵・待庵(たいあん)の二畳茶室は、私の独創などと言われておりますが、朝鮮の陶土(とうど)の家に求めて考案しました。そのような我が茶に秀吉公はもう、ついてゆけなくなっております。
それこそ四畳半には客二人、壱畳半には客三人など…」
「老人だからしがた――ハッ!」
政宗は慌てて口を塞いだ。
「大丈夫ですよ。私の方が殿下より一回り以上、上ですから。」
「まさか、その様には全く…。と、またも戯れを!」
利休は思わず噴き出した。
「笑ったのはいつぶりでしょうや。」
「命さえも危うき時に。」
「誠の数寄(すき)に至る――」
「おちゅる!」
翌朝、大坂城にあって、子の鶴松は床に伏していた。
「いつから…」
わしはその場に、体の力が抜けてゆくように坐した。
「数か月前より少しずつ…。申し訳ござりませぬ!」
妻であり母の淀が顔を袖で覆い泣いた。
「先日、毛利輝元公よりご命令通り、材木一三〇〇本が届いたと大仏本願(木喰応其(もくじきおうご))より聞いております。」
と石田三成が答えた。
「以て急ぎ推せ。おちゅるが、わしのおちゅるが――!!」
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2024-11-29 公開
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