豊臣秀吉くんの日記:第73回 甫田(ほでん)
天正一九年一月二三日
尾張国中村郷。
弟の小一郎(秀長)二〇歳は、母(なか)や姉(とも)を助け、野良仕事に精を出していた。
甫田(ほでん:大きな田地)を耕して苦しむな。莠(はぐさ:ざっそう)がはびこって、始末に終えぬ。
遠くにおる人を思うて悩むな。ただ心悩ますばかり。
「お――いっ!」
婉(えん)たり孌(れん)たり。總角(そうかく)丱(かん)たり。
「小一郎――っ!!」
未だ幾(いく)ばくならずして見れば、
「兄やん!?」
突(とつ)として弁(べん)せり。(『詩経』齊風・甫田)
「やっとかめ(久しぶり)、元気じゃったか。」
田んぼの真ん中。花鳥のついた美しい陣羽織に、刀を差した姿のわしに、
「兄やんは…」
衣一枚の小一郎は、呆気(あっけ)にとられた。
「今わしは織田信長公に仕え、足軽組頭をつとめ、禄百貫を賜る侍である。」
「は?」
「家臣を持てるので、信用できる者を置きたい。そなた、来るか。」
「え。」
その時、かか様と姉様が背後から小一郎を踏み倒し、わしに抱き着いた。
「藤吉郎? ほんに藤吉郎かい!?」
「この親不孝もんが!」
「あーあー、そんな汚いナリと手で…。兄やん結局、元の百姓だがや。」
顔から足先まで泥がついたわしを見て、小一郎は大笑いした。
「小一郎が――ッ!!」
京・聚楽第。母上(なか)七九歳が泣き叫んだ。
「去年の旭に続いて、小一郎まで…」
大和郡山城で小一郎が身罷(みま)かった。
「大政所(おおまんどころ)さま…」
わが妻のおね(北政所)は母上の背中をさすった。
「大政所など、これほどの苦悩にはとても引き合わぬ名声…」
「このような時に、殿下は何をしておる!」
その時わしは、大坂城において子の鶴松と遊んでいた。
「高い、高い~~ッ!」
こうしておれば、涙も落ちぬだろう。
こうしておれば、再び思い出が甦っても――
可愛(かわい)い幼いあの子。垂れ髪を総角(あげまき)にしていた。
「小一郎――っ!!」
暫く合わぬと思う間(ま)に、
「兄やん!?」
今はもうすっかり冠をつけた若者――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2024-09-29 公開
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