豊臣秀吉くんの日記:第63回 朝鮮通信使との対面
天正一八年一一月七日
「朝鮮国王李昖(ヨン)、書を日本国王殿下に奉る。
春の日暖かく、景色の動静が美しい。遠く、大王の六十余州を一統させられたと云う。速やかに国家間で信用に注意を払い、調和を求め、もって隣好を敦くせんと欲せん。
然しながら道路ふさぎかくれを恐れ、使臣の荷物が滞る憂い有らんか。これもって多年思いて止(とど)まる。
今、貴使(景轍玄蘇・宗義智)とともに、黄允吉(ファン・ユンギル)・金誠一(キム・ソンイル)・許筬(ホ・ソン)の三使を遣わし、もって祝いの言葉を奉る。
これ以降、隣好、他の上に出ずれば幸甚なり。よって、つまらない土産を記載した目録在り。庶幾(こいねが)わくば笑納せよ。余れば序に順って納めよ。不宣(ふせん)。万暦一八年三月 日」
聚楽第にて列座する相伴は聖護院道澄、右大臣・菊亭晴季、勧修寺晴豊、権大納言・中山親綱、同・日野輝資、配膳に前権大納言・飛鳥井雅春、長谷川秀一、宇喜多秀家。
通信三使と車天輅(チャチョンロ)は足の付いた五つの膳。進物は虎の皮百枚、唐鞍二口、蜜桶五つ、人参一箱、白米五〇石。
わしは下々まで饅頭、蜜柑、鯛のもの、酒を飲ませること数巡して退出した。
「あちらの車天輅さんは上洛されて、四、五〇〇〇の詩を立てられたとか。」
中山親綱(四七歳)がひっそり、隣りの勧修寺晴豊(三七歳)にかけた。
「天神さん(菅原道真)か。」
「天神は(死後)宋に渡ったとか、本地(ほんじ:本の姿)は阿弥陀とか毘沙門とか聞きますが、高麗人とは未だ聞いたことがありませぬ。」
「当人に聞いてみては。」
「大和ことばで?」
「天神さんならきっ――殿下!?」
わしは子の鶴松二歳を抱いて再び入室。坐中は頭を下げて畏まった。
巳(午前十時)にして高麗の楽工を招き、盛んに多くの楽を奏す。
鶴松がわしの衣の上に遺漏(小便)した。
「何をしておる、ちゅるまつ!」
「ブッ!!」
黄允吉が噴き出すと、
「カムチャギヤ(うわ!)」
金誠一が慌てて允吉の口をふさいだ。
「アハハハハ!!」
晴豊はじめ相伴の者どもが笑った。
「おかしい音楽に、おかしい殿下。今日は誠に素晴らしい。」
と宇喜多秀家は酒を仰いだ。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-11-30 公開
« 豊臣秀吉くんの日記:第62回 木村吉清の暴政 豊臣秀吉くんの日記:第64回 伊達政宗の謀反 »
ランダムデイズ
- 伊達政宗くんの日記:第35回 とうほぐルネッサンス
- 藤原惺窩くんの日記:第15回 覚悟
- 藤原惺窩くんの日記:第20回 郷党
- 大谷吉継くんの日記:第26回 ほっこり祭り2013 信濃のモンスター
- 上杉景勝くんの日記:第45回 五大老との初めての出逢い