豊臣秀吉くんの日記:第32回 琉球国王尚寧と鶴松の誕生
天正一七年五月二七日
「そもそも去年以降、京はいよいよ静謐のゆえ、東西一国残らずご命令になびき、天下統一の御威光は私の筆に及びません。
つきましては、あなたの無礼は、度々秀吉公に命じられ堅く申し付けるといえども、その験(あかし)がいまだありません。
天下に背く族は琉国に極まり、直ちに武船を催され、方々滅却されましょう。
琉・薩は古い約束の謂れは、まことに日が長いことで、中断に耐えられません。やがて正しき判断を遂げられれば、益々安寧されましょう。よって扇子百本と金を僅かながら先例として差し上げます。」
天正一六年仲秋、那覇首里城において琉球国王尚永(しょうえい)は薩摩国当主・島津義久からの文をその手で握りつぶした。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「どうなさいました、王様!」
三司官(琉球王国で最高官職に就く三人)の一人が尚永の背をさすった。
「世子(世継ぎの皇太子)を決めねば。」
「王様はいまだ三〇歳の若さ。お気を強くお持ちください。」
と三司官の一人が尚永をいたわった。
「私には男子ができぬままであった。然しながら今、薩摩もこのようであるからには、倭王秀吉がいつ我が国に攻め入るもおかしくない。万一に備えるべきであろう。」
「既に世子様をお決めでこざいますね。」
と三司官の一人が尚永に伺った。
「我が兄弟からとも考えたが、娘婿の浦添王子としたい。文を能(よく)し、必ずや儒道をもってこの小国を守ってくれよう。」
「異論ございません。」
「直ちに天朝(明)に琉球国世子を知らせ、認めて…ゴホッ、ゴホッ!!」
「王様!」
翌年の正月、尚永が逝去。
首里城正殿にて、二六歳の世子(浦添王子)が新国王として即位し、ここに第二尚氏王統第七国王・尚寧(しょうねい)が誕生した。
そしてこの年の五月。
「ちゅるまつ~~ッ!!」
お茶々が、わしの子を産んでくれた。
五〇も過ぎて、子は全く諦めいた分だけ喜びも大きい。
殿に似てとてもかわいい。
皆そう、言うておる。
この子のためにも一刻も早く、周辺の小国から大唐までことごとく我が手中に――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2020-11-28 公開
« 藤原惺窩くんの日記:第25回 大迷惑 豊臣秀吉くんの日記:第33回 久米村三六姓 »
ランダムデイズ
- 藤原惺窩くんの日記:第4回 全ての人々を敵に回しても
- 後藤又兵衛くんの日記:第65回 最後の希望のように
- 大谷吉継くんの日記:第31回 宗茂くんと小早川先輩を信じてみよう!
- 伊達政宗くんの日記:第35回 とうほぐルネッサンス
- 明智光秀くんの日記:第46回 ごろつき、悪党、バサラ