小西行長くんの日記:第54回 宇喜多秀家重体-幸州の戦い
月11月5日
太閤秀吉様の命で、第一軍として私は朝鮮・釜山(プサン)に上陸して、二十日で都・漢城(ソウル)を制圧。
更に北上して、平壌(ピョンヤン)城も落として、私が暫くここに留まっていた時、朝鮮朝廷が明に援軍を要請した。
これに対して私は、明の沈維敬と和平交渉をし、明と50日間の停戦協定を結んだ。
しかしそれは沈維敬の罠だった。明の李如松が率いる4万の兵が平壌城を囲んだのだ。
城内の日本軍二万はこれに敗退、私は平壌脱出、都・漢城まで後退した。
そして今度は、権慄(クォン・ユル)率いる朝鮮軍一万が漢城を奪還すべく、漢城にほど近い幸州(ヘンジュ)山城に籠った。
そこで、宇喜多秀家、石田三成、黒田長政、小早川隆景、私・小西行長ら日本軍三万は、漢城より出陣して幸州山城を攻撃した。
しかし高所から大砲、投石、弓矢を猛烈に浴びせられた日本軍はここでも大苦戦していた。この戦争全体の流れが完全に変わってきている。
しかし遅かれ早かれこうなることはわかっていた。
だけど開戦前、私は所領を失うのを恐れて、秀吉様の命に背くことができなかった。
周りの武将たちに同調して、異を唱えることもできなかった。
信念ってどうやって貫き通せばいいのだろ?
戦意喪失、日本に帰国する気力もなくなっていた、その時、
「小西ッ!」
と声が聴こえた瞬間、
「危ないッ!」
と宇喜多秀家様が私の上に覆いかぶさり、敵の矢に倒れた。
「八郎様!」
秀家様は幼い頃、八郎様と呼ばれていて、私は彼の年上の元臣下であった。
八郎様は私の腕をつかんで、

宇喜多秀家
「貴様、いつまで被害者ヅラしているつもりだッ!
沈維敬との和平交渉はどうした、まだ途中だろ?
信念を簡単に曲げ、リスクも背負わずに、どうやって自分の生に責任を負うつもりなんだ!」
と私に檄を飛ばして、意識を失った。
「八郎様、八郎様ッ!」
私は僧医に重体の八郎様をゆだねた。
私はどこまでバカなんだろう…。
八郎様も他のみんなも、生きて、日本に連れて帰らねばならぬ。
和平を実現せねばならぬ。
私はようやく覚悟を決めて、立ち上がった。
カテゴリ:小西行長くんの日記 | 2015-11-05 公開
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