豊臣秀吉くんの日記:第33回 久米村三六姓
天正一七年五月二七日
「久米村三六姓(那覇久米村に住む福建人)鄭迵(チェンドォン)が申し上げます。」
首里城において琉球王国朝廷に鄭迵が報じた。
「本年(天正一七)三月、倭王秀吉の使者なる者が、ここ琉球に至って私に金を贈り、大明に行き講ずるようとしました。
私は那覇久米村に住み、琉球で貿易を営んでおりますが、かつて国子監(明の国立大学)に就学し、忠孝もとより大。威をもって脅かすべからざる者でごさいます。」
「よくぞ申された。」
と三司官(琉球王国で最高官職に就く三人)の一人が鄭迵をねぎらった。
「薩摩といい、倭王といい、何というしつこさ。」
と三司官の一人が呆れ返った。
「ゆえに天朝(明)はその貢を断つ。もし我が国が倭を手引きして、亀裂をひらかばその禍は防ぎようがありません。」
三司官の一人が、即位したばかりの二六歳の尚寧(しょうねい)王に語った。
玉座にあって尚寧王は黙したまま頷いた。
「天朝の厚恩を思い、国家の大難を報じるため、王様より小舟一隻賜り、出帆したく存じます。」
と鄭迵が尚寧王に願い出た。
天正一七年五月仲夏。
「私は遠島にて身分は卑しく、小国いえども、島津義久公から大慈寺西院和尚をして命を受けました。
琉球天龍菴和尚をつかわし、明朝の塗物や当国の作物、軽薄の献上物を別紙に録(しる)し、一通を締めくくります。」
琉球王国・尚寧王がようやく我が天下に帰属した。
献上の品の、ひときわ怪しく青く輝く一つを手に取った。
京・聚楽第にあって、わしは早くも大唐を征服した気分で、琉球産の夜光貝とやらを首にかけた。
臣下の者たちが、素晴らしい、よくお似合いでと、誉めそやした。
いい気なもんだね。
琉球をなめきっている。
わしの企みを大唐に報じようと、琉球国王・尚寧が久米村三六姓・鄭迵と企んで、密かに動き始めたことも知らずに――
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2021-01-15 公開
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