豊臣秀吉くんの日記:第56回 高麗の関白
天正一八年八月三日
「大変でおぢゃる!」
京の禁裏(きんり:皇居)にて、勧修寺(かじゅうじ)晴豊三七歳が執務を執っていたところ突然、中山親綱(ちかつな)四七歳が現れた。
「どうされましたか、大納言(親綱)様。」
晴豊は筆を置いた。
「今朝たまたま宿にて、高麗の関白が管弦(音楽隊)を率いて上洛し、大徳寺に向かわれているところを見たのじゃ。大酒で、おかしい出で立ちであった。」
親綱は興奮気味に述べた。
「何ゆえ高麗の関白が本朝(日本)に。」
「さあ…。御上(おかみ)に拝謁されるのであらしゃれば、当然私の耳にも入って――」
親綱の言葉も乾かぬうちに、晴豊は廊下に出た。
「晴豊殿、どちらへ!」
「大徳寺へ!」
「これは大納言(秀長)様。」
わしより一足先に小田原から帰洛した千利休六九歳を、聚楽邸にて我が弟・秀長五〇歳が出迎えた。
「よくぞご無事で。」
「それより病(やまい)はいかがですが。」
「皆が小田原に出陣しておった折に、床に臥せていた甲斐あって、このとおり。」
秀長は元気よく両腕を回した。
「安堵いたしました。」
「忝(かたじけな)い。さ、一服召されよ。」
秀長は茶でもてなした。
「有り難き幸せ。」
利休は茶碗を両手に取り、ゆっくりと喉をうるおした。
そんな日暮(にちぼ)、林に帰る飛鳥の声に誘われるように、
「ところで」「時に」
口を開いた二人の声が重なった。
「秀長様から。」
「利休居士(こじ)からお願い申す。」
二人は笑った。
「関白様(秀吉)が一夜にして築かれた、小田原を見下ろす城はまこと見事なものでした。」
「噂に聞いておる。いつか見る機会もあろう。それより――」
「?」
「山上宗二のことを聞いた。このとおり。」
突然秀長は後ろに身を引いて、深々と頭を下げた。
「おやめください。」
「どうか私に免じ、これからも豊臣に留まってはくれぬか。」
「私が離れて何か問題でも。」
「小田原を滅ぼし、天下統一を果たした次は朝鮮だ。今の兄者を止められる者は、わしとそなたしかいない。」
「ご心配に及びませぬ。」
「え?」
「弟子を惨殺した天下人の隣で、我が茶湯を完成させるゆえ。」
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-04-30 公開
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