豊臣秀吉くんの日記:第64回 伊達政宗の謀反
天正一八年一一月一九日
「ご注進申し上げ――」
聚楽第にて、子の鶴松と女中たちとに交ざって遊んでいたところ、浅野長吉(ながよし)がやって来た。
「お取込み中でしたか。」
「構わぬ、申せ。」
「はっ。朝鮮使節一行、殿下との謁見を終えられ、再び対面することを得ず、和泉(大阪府)堺に留まっておられるとのこと。」
「用は済んだじゃろ。」
「金誠一殿曰く『吾、使臣なり。国書を報じて来る。もし返事無ければ、国王の命を草むらに棄てるに同じである』と。」
「上副使(黄允吉・金誠一)に銀四百両、書状官・通事以下には品物を与えたというに。」
「バンバンバン!!」
鶴松が関心を示したことにより、使節からもらった太鼓を鶴松が叩いた。
「ようわかった。然るべき者に返書を書かせ下す。」
「使節も喜びましょう。」
「謂(おも)へらく、そなたは誰に仕えておる。」
「お戯れを。恐れながら、然るべき者とは?」
「それは――」
それから五日後。
「兄者(あにじゃ)!」
聚楽第にて、くつろいでいたところ、突然弟の小一郎(秀長)が文を片手に現れた。
「今度は何じゃ。」
佐吉(石田三成)に肩をもんでもらっていたわしは、姿勢を整えた。
「葛西・大崎領では木村吉清の子息・吉久(よしひさ)が、居城の栗原郡佐沼城で一揆勢に取り囲まれ、救援に駆け付けた吉清と共に籠城中とのこと。」
「まだやっておったのか。」
わしは、利休が側で立てた茶を飲んだ。
「米沢の伊達政宗は何をしておる。」
「忠三郎(蒲生氏郷)は、伊達家の家臣・須田伯耆(ほうき)を通じて、政宗の謀反、葛西・大崎一揆の味方を密告してまいった。」
「はああ?!」
わしは小一郎から文を受け取った。
「やはり――」
佐吉は固く唇を噛みしめた。
「えーと、ええっ――と…」
わしが文を眺めながら混乱していると、
「まずは木村父子の救援。」
と利休が応えた。
ちょうどその頃。
「イゲムォヤ(これは何だ)!!」
堺でわしからの返書を受け取った、使節の金誠一は言葉を失った。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-12-29 公開
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