豊臣秀吉くんの日記:第45回 伊達政宗と北条氏の共謀


豊臣秀吉天正一七年一一月二〇日

これまでは我等が策の通り。

北条前当主・氏政が小田原城の一室にて、弟らに言う。

秀吉が惣無事令(私闘禁止令)を発した後の今年六月、伊達政宗が会津に侵攻。摺上原(すりあげはら)で、芦名を滅ぼした。

八月、我等は氏規を上洛させ、秀吉に形だけの礼を取らせた。

と氏政のすぐ下の弟で武州八王子城主・氏照が腕組みした。

十月、私の命で家臣の猪俣邦憲に、真田昌幸の名胡桃城を急襲させ奪わせました。

と氏政の二番目の弟で武州鉢形(埼玉県寄居町)城主・氏邦が、目の前の日本図において上野(こうずけ:群馬県)を扇子で指した。

昌幸はこれを直ちに秀吉に報じた。秀吉は激怒して北条攻めが決まる――

ここまでは、関八州の北条と奥州の伊達の意図する通り事が運んだ。未だ伊達は信じられるか。

政宗側近の片倉景綱は、あくまで秀吉に武力対決を挑む、私と同じく最強硬派。常に互いの関係を絶やさぬよう努力しております。景綱は信じられますが…

 

伊達政宗

伊達政宗

「政宗はまだかッ――!!」

突然どうなされましたか。

わしの立てた茶を飲もうとした千利休が驚いた。

「嗚呼、今宵三日月が見えますね。」

聚楽邸の茶室から、利休が夜空を仰いだ。

「上洛するよう何度も催促したが、全て無視しおる。」

お忙しいのでしょう。いくさで。

「惣無事令も無視。」

若者は血気盛んなもの。

「北条は何だ。」

北条当主氏直殿も、伊達政宗殿も共にまだ二十代と聞いております。

「出た、斎藤道三知らない世代。」

「繊細なわしは、若い時分から血を見るのを厭うたものよ。」

初耳です。

と利休は静かに茶をすすった。

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