豊臣秀吉くんの日記:第41回 沙乙浦同の最期


豊臣秀吉天正一七年九月二八日

復命(報告)いたします。

先日、北条当主・氏直の名代として北条氏規が、わしに謁見するため上洛。

本日、帰還して小田原城内の一室において、氏直と二人きりで対面した。

ご無事の帰還、悦ばしい限り。

と氏直はこの叔父(氏規)をねぎらった。

秀吉との会見後、密かに京の公家、門徒などに接触いたしました。彼らによれば秀吉、高麗・南蛮・大唐までも侵入すべしと聞こえたり、と。

は?

氏直は思わず、口に含んだ阿闍梨餅を吐き出しそうになった。

既に琉球は秀吉に臣下の礼をとられたとのこと。

まことか。関東についてはいかが。

恐れながら、沼田領が真田昌幸から北条領に帰属すれば、先代(氏政)を上洛させ、秀吉の臣下として参上することを約束いたしました。

氏直は懐からわしからの文を出し、氏直に差し出した。氏直はさっと目を通し、

これまでの話、先代はもちろん、八王子(氏照)・鉢形(氏邦)の両伯父には内密に。

と文を己の懐におさめた。

秀吉とは徹底抗戦の構えの兄たちに、私から告げるようなことはございません。

九州、琉球を平定した秀吉の次の目標は高麗より先に――

 

沙乙浦同

沙乙浦同

秀吉の事は、我の知る所に非ず。

宋義智は高麗王との約束通り、高麗人の孔大元ら一六人を返す。また高麗の辺境の民・沙乙浦同および二年前(宣祖二〇年)の賊倭・緊時要羅、三甫要羅、望古時羅三人を縛って送った。沙乙浦同は続けて言った。

則ちここに居る倭人らは我の誘いによる。ゆえに宋義智は我等を縛って送った。王の処置を聴こう。

高麗王・宣祖は大いに軍隊の威力を振って、仁政殿にのぼり、沙乙浦同を鎖(つな)ぎ、夷庭に入れて詰問し、城外にて斬った。

 

「坂東(関東)が農兵を徴発し、城々の修理を進める一方、職人衆を動員して大量の武器を製造させている。とか?」

わしは側近の浅野長吉(長政)に問いただした。

存じませぬ。

長吉は平伏したまま言った。

「先月、ここで氏規を謁見したばかりと言うのに。」

まこと、あっぱれなお人柄でございました。私に免じて北条ご当主とその使者・氏規殿を信じていただけませぬか。

わしは初めから信じている。

この豊臣、どれだけ信用ないわけ?

まあよい。暇な人たち。

せいぜい手落ちのないようがんばって。

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