豊臣秀吉くんの日記:第82回 淀殿のキセル
天正一九年四月二日
「デタラメを申すな!」
福建商人・陳申(チェン・シェン)の報せに、福州(福建省)の役人らは響動(どよ)めきだった。
「控えよ。」
福州の長官が制止した。
「苟(いやしく)も陳申、琉球王印を携える。
また琉球王府、通事(通訳)・鄭廸(チェンディ)を遣わし、小船の不測を恐れて、両人を朝貢船に乗せ馳せ報せれば、倭情漏洩せず。」
辺りはたちまち静まりかえった。
「申がそのように奔(はし)り、ここに報せますのも、倭情の重大なるを見たため。」
陳申は改めて畏まった。
「日本になお、大国があります。万島(坂東:関東)と名づくる所です。
長子(氏直)は金をもらって寝返り、父(氏政)を殺して関白に投降しました。
関白は自ら天の授くるところと為し、六六州をして造船せしめ、二万隻に秀でた兵士二〇〇万を動かすと。則ち親(みずか)ら各王を統率し、三月に大明に入寇せんと計りました。
もし申の言(ことば)に誤りあるとするならば、再び確かめることを乞います。」
「どのようにして?」
「京師(北京)の使者が、陸路より朝鮮に往き敵情を探ってください。朝鮮西南の地は、日本対馬州と接します。
福建の使者は、海路により琉球に往き敵情を探ってください。琉球東北の地は日本薩摩州と接します。
朝鮮・琉球は商船が時々往来します。すなわち真偽を知りましょう。」
「出かした、おちゅる!」
大坂城で子の鶴松を抱きかかた。
「ご心配、ご心痛をおかけしました。」
淀が頭を下げた。
「これも大仏普請のご利益(りやく)か――」
鶴松の病(やまい)重く、どうなることかと思ったが、今はうんと身体(からだ)が重(おも)うなった気がした。
これほどの歓びがあろうか。
「更に尽くせ、一杯の酒。」
その夜、宴に集まった皆々に馳走し、また自ら舞った。
これほどの歓びがあろうか。
例えそれが、亡(うしな)った人を忘れたかのように見えたとしても――
「真偽を知るすべがない。」
淀の吹いたキセルの煙が闇に消えていった。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2025-06-30 公開
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