豊臣秀吉くんの日記:第54回 一夜城
天正一八年六月二六日
圧倒的な実力の差。
身の程をわきまえた方がいいよ?
前田利家・上杉景勝の北国勢は、上田城の真田昌幸らと合流し、三万五〇〇〇余の兵力で北条領に侵入し、上野(群馬県)の松井田城に殺到した。
四月二〇日、松井田城将・大道寺政繁は降伏して、北国勢の道案内役として攻撃軍に加わった。
二二日、小田原北条氏別家・玉縄城が開城し、城主・北条氏勝が降伏。
残る北条の支城は岩付・忍・鉢形・八王子・津久井の五城。
六月五日、伊達政宗が小田原に着陣したことは前回の日記のとおり。
岩付城を落とした浅野長吉・木村一両隊は、北国勢と合流して、鉢形城(埼玉県寄居町)を五万の大軍で包囲。城主・北条氏邦以下は善戦したが一四日ついに開城。氏政の弟である氏邦は前田利家に降(くだ)った。
前田・上杉・木村の諸隊は、南下して八王子城に殺到。二三日、城主の氏照は小田原城に籠城していたため、守将・横地吉信らが守っていたが激戦の末、落城した。
天然の要害・忍城は、石田三成・大谷吉継らが攻めるも、逆襲して攻城軍を退け、三成の水攻め作戦も失敗した。
氏政の弟・氏規が守る韮山城は、徳川家康殿の降伏勧告を受けて、二四日に明け渡した。
「あれはなんだ!?」
氏照は目を疑った。
二六日、突如、山の上に石垣が張り巡らされた城が小田原の人々の前に出現。
「出し抜かれた!」
氏政は手にしていた采配を宙(ちゅう)に振るった。
わしは箱根湯本に到着した四月六日その日から、小田原を見下ろす笠懸山に巨大な城を築き始めていた。
僅か八〇日の普請で完成し、わしはこの城に本陣を移し、夜のうちに城の前の樹木をすべて伐採した。
「今更何も驚きませぬ。」
当主・氏直は、顔色を変えずに言った。
「大道寺政繁、伊達政宗、(北条家)宿老筆頭の松田憲秀(のりひで)さえ豊臣方に内応していました。」
氏政・氏照兄弟は返す言葉がなかった。
圧倒的な実力の差。
身の程をわきまえた方がいいよ?
周りを犠牲にして許されるわけがない。
どうしようもない人望の差。
「私が見たのは、忠義の者ばかりでしたよ。」
薄暗い小田原城天守閣。
振り返れば、氏規四六歳が綻(ほころ)びた鎧姿で書を手に立っていた。
カテゴリ:豊臣秀吉くんの日記 | 2023-03-03 公開
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